役に立つってこういうことだと思う

今日の夕方は出張整膚。

先日お父さまを看取られた方、気が張っていたのがゆるんでしまったのか、体調を崩されたようでした。

ポツリポツリお話ししながらゆっくり体をゆるめていただいて、心も体も流れが良くなられたようで、お顔も明るくなられました。

 

施術後に今の心境をお話ししてくださったのですけれど、その中でこんなことをおっしゃっていました。

「父があと少しと分かってから、『父がいなくなったたらわたしどうするんだろう?これから仕事をすると言っても、これまで何もやっていなくて、今さら何もできないし、何の役にも立たないんだなぁ』って思っちゃったんだよね」

この気持ち、わたしもとてもよく分かったし、同じように感じられたことがある人も少なくないんじゃないかな?って思います。

 

わたし自身のことを言えば、結婚もしていないし子どももいない。

時々、「わたしって誰の役に立っているんだろう?」と思うことがありました。

大きな仕事をしている人を見ては、たくさんの人たちの役に立って、たくさんの人たちに喜ばれている人の姿を見ては、とてもうらやましく思い、「それに引き換えわたしは・・・」などと思ったものです。

でも、人の役に立つということは、そういう目に見えて分かりやすいことばかりではないんだと心底納得できるようになったのは、ここ数年のことでしょうか。

 

例えば、どんな人でも買い物はしますよね?

大きなスーパーであれ、個人経営の店舗であれ、品物と引き換えに代金を支払いますね。

その代金の行方を考えられたことはありますか?

それは店舗の経営を続けていくために使われたり、従業員やその家族の生活を支えるためのお給料の一部となっていくわけです。

買い物をするというごくごく日常的な行為でも、その店に関わる人たちの命を支える役に立っているんですね。

 

また時には、とてもお気に入りの飲食店があって、食事の代金を支払うだけでなく、「美味しかったよ、ありがとう」と、お礼まで言うことはありませんか?

その言葉は、お店の人にとってみれば、ある意味ではお金よりもうれしいことだったりします。

「ありがとう」と言われることは、その人の仕事を認め喜んでいただけたという証、その仕事を続けていくうえでの大きなエネルギーになるのですから。

 

またまたわたしの話になってしまいますが、料金が発生する仕事の場面だけでなく、ボランティアで訪れる施設の方々からも、たくさんの幸せをいただきます。

施術させていただいた方が涙を流さんばかりに喜んでくださって(中には本当に泣かれる方もいらっしゃいます)、「ありがとう、ありがとう」と何度も言ってくださることがよくあります。

その方にしてみれば、わたしが一方的に与えてくれる(と思っていらっしゃる)ことへのお礼だと思うのですけれど、わたしから見れば、そうやって喜んでいただくことは、わたし一人では決して叶わないこと。

だってその方がいてくださるからこそ、喜んでいただく喜びや幸せを感じることができるのですから。

その方はただそこにいてくださるだけ、ほんのひと時わたしと関わってくださっただけ、ただそれだけでこれほどまでにわたしを幸せな気持ちにしてくださるんです。

どうして役に立っていないなんて言えるでしょうか?

 

人は生きているだけで誰かの役に立っている

この言葉は決してきれいごとではありません。

どんなに「自分は一人ぼっちだ」と思っても、誰かの支えなしには生きていられないのと同じように、誰かの役に立たずに生きられる人など、一人もいないのだと思います。

ただ、心がギュッとしてしまっているとそれに気づくことができないだけ。

そんな時は息をゆっくり吐いて胸を柔らかくして、目の前の人、そして目に見えない誰かを自分が支えている、ということに気づいてくださいね。