全体と部分のズレ~自分の在り方が全て

 

昨日は午前中に、リラクセンスの基礎講座を再受講してきました。

本当は午前中から夕方までの一日を通しての講座ですが、どうしても参加しなければ!という強い確信があって、先生にご無理をお願いして、午前中だけ参加させていただきました。

やっぱり参加させていただいてよかった!

自分では分かっている、腑に落とせていると思っていたことが、まだ十分な体での理解に達していなかったことが分かりました。

 

 

ものごとには全体(マクロ)と部分(ミクロ)がありますけれど、わたしはマクロを何度も繰り返し頭と体に叩き込んだことで、ミクロも当然理解しているはずだと、改めて考えることもなく思いこんでいたようです。

ですが昨日気づいたことは、マクロ(体)と、そのパーツの一つであり大切な構成要素であるミクロ(筋肉)とに対する理解が一致していなかったこと。

自分の中ではありえない感じだったので、なんでだろう?と考えていて思い至ったのは、

わたしの中で、心の在り方や生き方・人生という全体と、それに不可欠な体という実体の間に、二つを隔てる壁のような概念が存在していたのかもしれない、ということでした。

 

そういえば以前、友人が、「体なんて要らない!とずっと思っていたから、心と体が一致していない」というようなことを話してくれたことがありました。

その時は彼女のこととして聞いていたけれど、わたしも同じだったのだな、と。

でもそれが分かったからと言ってショックということもなく、むしろそう考えれば何故か今までのいろいろなことが全て、納得できるような気がしました。

 

 

この気づきからわたし自身にどのような反応や変化が訪れるのだろう?

受けてくださる方にどのような反応が表れるのだろう?

そう思いながら、午後の仕事に臨んだところ、セッション後に、「いつもとは違うやり方だった?」との言葉。

受けているときも施術後の感覚も、いつもとは全く違うとのことでした。

一晩明けた今朝の感覚も、いつもとはいろいろ違っていると。

目に見えない、言葉でも説明できないようなほんのわずかな差。

わたしの在り方のわずかな違い一つで、相手の体の反応が全く違ってくるということ、改めて学ぶことができました。

 

 

自分の在り方が相手の反応を引き出している。

それは、どうごまかそうとしてもごまかしきることはできず、無意識の相手の反応として表れてしまうのです。

そしてそれは、人と人とが関係し合うどんな場面にも当てはまる、永遠の真理です。

過去どうだった、ではない。

今の自分の在り方が全て。

全ては自分次第。

 

自分らしい幸せを手にするため、いつも楽しく生きるためにとても大切なこと。

セッションを通して伝え続けていきたいと、改めて決意を新たにしました。