「やった感」が無いくらいがちょうど良い

昨日はリラクセンスの講習に行ってきました。

シンプルだからこそ、気をつけていないと我流になってしまいがちなので、こうして折に触れ基本に変える時間を持つことはとても大切。

そしてこの場に来るといつも、相手の体に寄り添うとはどういうことなのかを思い出させていもらえます。

 

 

 

昨日練習したのは基礎の基礎、「表面からのゆるみ」と「奥からのゆるみ」の復習。

同じ「ゆるめる」といっても、表面から遠くからではゆるみの質と深さが違います。

皮膚に置く手の圧、動かす幅、リズム、角度

全て相手の体の状態に合わせて行います。

と、書くのは簡単だし、頭では十分に理解していることなのですけれど、体はそのように反応してくれないことばかりで、ついつい自分のリズムになってしまっていることに気づきます汗①

 

 

自分では「よし、この手応えだな!」と感じていても、相手の方にとっては強すぎるということも多々あります。

反対に、相手の方が「あ、それそれ、すごくいい感じ!」と言ってくださったときというのは、わたしの感覚では「こんなので良いの?」という感じだったり。。。

「やっている感」が全くないくらいの時の方が、むしろ相手の方にとっては、自分のリズムに寄り添ってもらえていると感じられる。

この、相手が「気持ち良い」、「寄り添ってもらえている」と感じている時の、自分の「やっていない感」とのギャップをいかに埋められるか。

何度も何度も繰り返して、自分の体に染み込ませていかなきゃ!と思うのでした。

 

 

 

自分が相手のためにと思うことが、常に相手にとって心地よいとは限らない。

むしろ、相手のためにと思い過ぎることで、かえってやり過ぎてしまい、相手に重く感じさせてしまうことは、日常の人間関係でもよくありますよね汗

相手のことを100%理解することは誰もできません。

だからこそ、相手が本当に望んでいることは何だろう?と、心と体全部で感じようと努力し、相手の求める距離感で寄り添おうと思うことこそが、とても大切なのですね。

そんなことを思った昨日一日でした。

 

 

 

そして、一夜明けて今日、もう一つ思ったことがありました。

相手のためにと思いがんばってやっていることが、必ずしも良いとは限らない。

これは自分自身と向き合い、自分自身を相手にした時の姿勢についても言えることなのではないかな?と。

もっともっとがんばらなきゃ!

もっともっとがんばれるはず!

そうやっていつも自分を高めようとがんばっているけれど、もしかしたら、もう少し力を抜いてやった方が、もっと「やっている」感ないくらいでいた方が、より心地いい自分でいられて、望む結果が得られることもあるのかもしれないな・・・と。

その方が結果的に、ずっと深く自分に寄り添えることもあるんじゃないかな・・・と。

 

 

 

体と真摯に向き合うことは、いつもたくさんの大切なことに気づかせてくれ、真理を教えてくれます。