父の写真に思ったこと

もう半年前くらいのことですけれど、両親の品物を整理している時に、父親が職場の人たちと映っている写真が出てきました。

研修旅行か何かの写真で、後輩相手に講義をしていると思われるものや、飲み会での一コマや仲間と談笑している写真。

撮影日から計算すると53歳くらいの父親の姿。

ちょうど今のわたしくらいの年齢なんだなぁ、、、と思うと、不思議な気がしました。

 

 

その年齢の頃の父は既に中学生と社会人の娘3人を育て、家を買い、家計を支え、家族5人がつつがなく生きるためにがんばってくれていた。

一人の社会人として仕事を持ち、一方で地域の子どもたちの育成に時間と力を注いでいた。

あの頃のわたしは全く理解することはなかったけれど、あの頃の父と同じくらいの年になった今わが身を振り返ると、本当に立派な人だったのだと実感されます。

 

 

 

両親が亡くなってから四半世紀近くなりますけれど、「わたしの年の頃の両親は・・・」と振り返ることがよくあって、その度に、その足元にも及ばず何も成すことができていない自分を、心のどこかで恥じていました。

結婚もしていない、子どもを生み育てることもしていない、家族を養うどころか自分ひとりの生活で精一杯、、、

そんな未熟な自分を許せなくて、心の奥底でずっと責めていたのだと思います。

 

 

けれど自分を責めることを止めて、そんな未熟な自分で良いよと自分自身が受け容れ、認め、未熟な自分で生きることを自分に許してあげたとき、

与えてもらっていたものが如何にたくさんあったのかに気づくことができ、同時に、そんなにたくさんのものを与えてもらっていたにも関わらず、その恵みに深く感謝することなく生きてきた自分の傲慢さを知りました。

家も、仕事も、大切な人たちも、そしてこの命さえも、

必要なものはすべて最初から与えられていたんですね。

 

 

 

今この瞬間にも、たくさんのものが与えられていて、その中には表面上は「こんなの要らない!」と思うようなこともあるかもしれないけれど、

それさえも自分のために与えられたものなのかもしれないと考えることさえできれば、そのマイナスに見えるものが自分にとっての大切な学びであり、大きなギフトに変わるのだということも理解できるのだと思います。

起こること全てに感謝する、というのはそういう意味なんですね。

 

 

 

振り返ってみれば、今こんな風にセラピストとして仕事をして、こんなに素敵な人たちに囲まれて生活しているなんて、昔は全く想像もできなかったこと。

そう考えると10年後、20年後の自分は、きっと今の自分には想像もできないような生活をしているんだろうな~

そんなことを想像していると、時間や経験ってとても不思議で素敵だな・・・と感じます。

 

 

 

両親が生み出し大切に育ててくれたこの命を、これからは喜びで満たせるようにしていきたい。

そんなことを素直に口に出せるようになったことが、わたしにとっては何よりうれしいことです。

やっぱりちょっと照れますけどね(*゚ー゚)ゞ