常に自分自身であり続けること

6月に入って、もうすぐ梅雨も間近なのかな?と思わせるようなしっとり雨模様の逗子の街。

あんこが旅立ってから、ちょうど3か月が経ちました。

 

 

 

 

この写真は多分、ブログにもFBにも投稿していなかったと思う、息を引き取った直後のあんこです。

 

なんてきれいなんだろう。。。

なんて幸せそうなんだろう。。。

自分の生を生ききった生き物の顔というのは、こんなに美しいものなんだな。。。

 

ひっそりとただ”そこにある”だけなのに、言葉を超えた圧倒的な説得力。

ただただ見つめるしかできませんでした。

そして、余計な言葉を語らせないあんこの最期の顔は、わたしにただ一つのことを語りかけてくれました。

 

 

いつも”自分”として生きることを。

 

 

あんこが幸せに生ききったからと言って、わたしがとてもすばらしい飼い主だったわけでは決してありません。

イライラしている時に八つ当たりをしたことも数えきれないほどあったし、粗相をしたら声を荒げることも何度もあったし、徘徊し始めた頃などは「いい加減にして!」と叫んだこともあったし、

わたしの後悔が無いわけでは、決してありません。

でも、それでもあんこは幸せだったんですよね。

自分の生を全うしたんですよね。

それをわたし自身が何の掛値もなく感じられるのが、不思議で仕方なかったけれど、

しばらくして気づきました。

 

 

あんこはいつでも、どんな状況でも、”自分”という存在のままでいた。

だから、外側の状況がどうであれ、自分に与えられている”今ここ”に生きることができた。

だから、外側の状況がどうであれ、いつも幸せを感じることができた。

 

 

人間以外の動物は、きっとそんな風に生きることが自然にできるのでしょう。

けれど人間は、言葉をもって思考することを学び、そのおかげで多くのものを築き上げることがてきた半面、

当たり前のようにできていたはずの、常に自分自身とつながって、自分の中心に立って、感謝とともに”今ここ”だけに生きることができづらくなってしまった。

幸せ、ということの本当の意味を感じづらくなってしまったのかもしれません。

 

 

 

「わたしもこんな顔をして逝きたい」

それを痛烈に感じさせてくれたのが、あんこの最期の顔でした。

そのために必要なのは、常に自分に対して素直でいる、正直であること、常に自分自身であり続けること、

それ以外の努力は何も必要ないのだということも、あんこが教えてくれました。

 

それを実践し続けたこの3か月は、とてもひっそりとした静寂の中にあったような感覚でありながら、とても強力にわたしの内面を変えてくれています。

いえ、”変えている”のではなく、きっと本来の自分に”戻っている”だけなのですね。

だからこんなに心地良いのでしょう。

 

 

 

自分がどんな風に死を迎えたいか?ということを見つめると、そのためにはどう在るべきか?という自分の求める”在り方”が見えてきます。

大切なのは”何をするか”ではなくて、”どうあるか”。

 

最期の時まで常に自分の中心にいて、自分らしく立っていたい。

こんな顔で逝けるように。。。