整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

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遠隔氣療→祈りと遠隔氣療の時間とさせていただきます

2018/7/15

約2年前から毎週日曜日の22時から30分間、遠隔氣療をさせていただいておりましたが、前回は初めて皆さまと一緒に”祈る”時間を共にさせていただきました。

そして今後は、毎月第1週目は同じように祈る時間を持ち、それ以外の日曜日はこれまで同様、ご希望者に向けて遠隔氣療を行う予定ですと皆さまにお知らせしておりました。

けれど、この1週間考えた結果、これを変更することにいたしました。

 

 

毎週日曜日の22時から30分間行うことは変わりありませんけれど、

毎週ともに、最初の15分間はご希望くださる方と一緒に、世界を幸せで満たすため、地球を癒すために“祈る”時間を持ちたいと思います。

そして後半の15分間は、これまで続けてきたとおり、ご希望くださる方へ遠隔氣療を行います。

 

 

なぜ皆さまとの祈りの時間を持とうと思ったのか?については、先週も書きましたけれど再度書かせていただきますので、一度お読みくださった方には重複いたしますが、もう一度お読みいただければと思います。

 

 

わたしたちが住む地球は、至るところで様々な問題が起こっています。

たとえ遠い場所で起こっていることであっても、直接自分の人生に関係ないと思われるようなことであっても、同じ地球に生を受けたわたしたちにとって、起こっていることは全て、決して無関係ではありえません。

そしてその物事を解決するために直接できることがないとしても、「皆にとってベストな形に変化していきますように」と祈ることはできますよね?

 

 

わたしは祈りの力を信じています。

もちろん一人で祈ることはできますけれど、皆が力を合わせて無心に祈るとき、物事を動かす大きな力になると信じています。

そして今、皆が心を一つにして世界の平和と幸せのため、地球を癒すために祈ることが、とても必要なのではないか?と痛感しています。

もし同じように思ってご賛同くださる方がいらしたら、ぜひご一緒に心を合わせてお祈りしていただければと思います。

 

 

ここで念のために一言。

“祈る”という言葉を使っていますけれど、決して宗教的なものではありません。

ですので、祈る対象は神さまでも仏さまでも、イェス・キリストでもアッラーでも、大いなる存在でも、全く問いません。

各自が信じる“存在”に対してお祈りしていただければと思います。

大切なのは、心を一つにして、自分自身を含む全ての生きとし生けるもののために良きことが起こるようにと意識を向けること、です。

 

またその際、一つだけ心がけていただきたいことがあります。

「被害が少なくなりますように」とか「戦争がなくなりますように」など、マイナスに見える出来事を否定したり排除するような祈り方はしないでください。

代わりに、「みんなに平安が訪れますように」「世界が愛と平和で満たされますように」など、望む状態をプラスの言葉を使ってお祈りしてください。

そして理想とする素晴らしい世界を思い描きながらお祈りしてください。

意識を向けたモノ、コトを拡大させるのが意識の働きです。

好むと好まざるとに関わらず、マイナスにフォーカスすれば、そのマイナスを拡大してしまう結果になるのです。

ぜひこれだけは忘れずに、お祈りしていただければと思います。

 

 

こういうわけで、皆さまとの”祈り”の時間を持つことを決めたのですけれど、実際に行ってみて、これは月に一度だけではなく、できれば毎週この時間を持つことが必要なのでは?と感じ、

一方で、もしかしたら30分間祈るという行為は、ごく一般の方には長すぎると感じられるかもしれないとも思い、

その結果、冒頭でご説明した通り、毎週祈りの時間と遠隔氣療の時間を15分ずつ持つことに決めました。

決めたと言っても、今後皆さまから新たなご要望があったり、求められていることが違うと感じられた時には、フレキシブルに変更していこうと思います。

 

 

もし賛同くださり、ご一緒にお祈りしていただける方は、いつものようにコメントくだされば心強く嬉しいですけれど、ひっそりと気持ちを合わせてお祈りしてくださっても嬉しいです。

どちらでもお気持ちにお任せします。

そして遠隔氣療につきましては、詳しいことはこちらをご覧ください。

 

 

何だか説明が長くなってしまって、分かりにくくなってしまっていたらごめんなさい💦

この取り組みによって一人でも多くの方のお気持ちがひとつになり、たくさんの方々の幸せと平和につながることを心より願っております。

 

 

 

癌の方へのケア~人生のリセットを

2018/7/13

今日、友人からほんわかとってもかわいくて素敵な贈りものが届きました!!

 

 

 

 

友人のお母さま手作りの”さるぼぼ”。

※”さるぼぼ”とは・・・飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」の意。近年では、土産として飛騨地方の観光地で多く見られる。

 

さるぼぼだけでなく、周りに置いてある手まりや箱も全て、手作りの品。

それにね、これのさるぼぼたち、小さくて分かりにくいと思うんですけど、お顔がフウセンカヅラの種なんですよ。

 

 

 

 

さるぼぼ×9人で「苦難が去る」という意味があるそうです。

可愛すぎて、素敵すぎて、ありがたすぎて、もうジンワリきちゃいました涙

Aさん、心のこもった贈りもの、本当にありがとうございます!

 

 

 

実はね、この3週間ほど、癌の方へのケアをさせていただいています。

以前、整膚を受けにいらしてくださっていた方なのですが、しばらくの間お顔を拝見していませんでした。

そしてこの春のこと、今年になって癌が発覚し闘病生活に入られているということを知りました。

それからしばらく経った先月の半ばに、「集中的に整膚を受けたい」とご依頼いただいたのでした。

 

 

西洋医学的に言えばかなり厳しい状況で、言葉で説明を受けると絶望的ともとれる状態ではありますけれど、、、

わたしはほとんどの病気は、心身のバランスを崩したり、これまでの生き方をリセットする必要があるときに発症するのだと考えています。

特に癌は、ウィルスや細菌などの感染症とは違って、元々は自分の細胞だったはず、
それが何らかの要因で異常な分裂を起こした結果に過ぎない、
だからその原因となった状態を無くすことで、寛解へと進むことができるはず、

そう考えています。

彼女もわたしがそのような考え方でいることを理解しており、彼女もまた同じような考えを持っており、だからこそ、体と心の両面でのバランスを取り戻すべく整膚を選んでくださったとのことでした。

そして今、これまでの自分をリセットすべく、果敢に臨んでいらっしゃいます。

 

 

 

でも、

わたしがこのような考え方を信念として持っているからと言って、全く心が揺さぶられないわけでは決してありませんし、「いったい自分に何が出来るのか?」と反問しない日はありませんけれど、

このタイミングでわたしを信じてご依頼くださったことの重さや意味をしっかりと深く受け止めて、ともに歩んでいこうと思います。

”わたしが良くしてあげる”のでは決してなく、彼女自身に備わっている生きる力の強さをとことんまで信じ切って、ただただそれを引き出すきっかけを作ることさえできれば、自ずと体が答えを出してくるはず。

そのために精一杯できる限りのことをやり遂げたい!と思い、セッションさせていただいています。

そして彼女ともたくさん話し、常に同じ方向を見て、ともに進もうと思います。

 

 

 

わたしにできることは本当にわずかなことでしかないかもしれないけれど、どんなにささやかであっても希望の光がある限りは、その導いてくれる先にあるものを100%信じる切ろう!

彼女が自分自身の中に存在している”生きる力”を信じ切ってくれることを信じよう!

そして今この瞬間にできることを、たとえどんなに小さなことでも重ねていこう!

奇跡と見えるような結果を招くのは、いつも小さな歩みの積み重ねだから。
そして、たとえそれが目に見えないものであっても、その見えない大切なものを信じ切る強さが必要なのだと思うから。

 

 

 

友人から贈られた”さるぼぼ”が、彼女の苦難も取り去ってくれますように!

そして、今苦しみの中にいるたくさんの方々の苦難も取り去ってくれますように!!

今ここに生きていることに心から感謝しつつ、全ての方の幸せを、この可愛らしいさるぼぼたちに祈らずにはいられません。

 

 

2018/7/7

約2年前から毎週日曜日の22時から30分間、遠隔氣療をさせていただいていますが、思うことがあり、下記のように変更させていただこうと思います。

少し長文になりますがお読みいただければと思います。

 

 

毎月第2週目以降はこれまで通り、ご希望くださる方へ遠隔氣療を行います。

そして第1週目は、ご希望くださる方と一緒に“祈る”時間を持ちたいと思います。

 

 

わたしたちが住む地球は、至るところで様々な問題が起こっています。

たとえ遠い場所で起こっていることであっても、直接自分の人生に関係ないと思われるようなことであっても、同じ地球に生を受けたわたしたちにとって、起こっていることは全て、決して無関係ではありえません。

そしてその物事を解決するために直接できることがないとしても、「皆にとってベストな形に変化していきますように」と祈ることはできますよね?

 

 

わたしは祈りの力を信じています。

もちろん一人で祈ることはできますけれど、皆が力を合わせて無心に祈るとき、物事を動かす大きな力になると信じています。

もし同じように思ってくださる方がいらしたら、月に一度この時間、ぜひご一緒にお祈りしていただければと思います。

 

 

ここで一言。

“祈る”という言葉を使っていますけれど、宗教的なものではありません。

ですので、祈る対象は神さまでも仏さまでも、イェス・キリストでもアッラーでも、全く問いません。

各自が信じる“存在”に対してお祈りしていただければと思います。

 

 

またその際、一つだけ心がけていただきたいことがあります。

「被害が少なくなりますように」とか「戦争がなくなりますように」など、マイナスの出来事を否定したり排除するような祈り方はしないでください。

代わりに、「早く事態が良くなって、みんなに平安が訪れますように」「平和が訪れますように」など、望む状態をプラスの言葉を使ってお祈りしてください。

そして理想とする素晴らしい世界を思い描きながらお祈りしてください。

好むと好まざるとに関わらず、マイナスにフォーカスすれば、そのマイナスを拡大する結果になるのが意識の働きです。

ぜひこれだけは忘れずに、お祈りしていただければと思います。

 

 

ご説明が長くなってしまいましたが、、、

こういうわけで、明日8日の日曜日は第2週目ではありますが、この“祈り”の時間にしたいと思います。

ご一緒にお祈りしてくださる方は、いつものようにコメントくだされば心強く嬉しいですけれど、ひっそりと気持ちを合わせてお祈りしてくださっても嬉しいです。

どちらでもお気持ちにお任せします。

一人でも多くの方のお気持ちが一緒になり、たくさんの方々の幸せにつながることを願っております。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

明日8日の22時より30分間は皆で気持ちを合わせて地球のため、苦しみの中にある方々のために”祈る”時間にいたします。
お気持ちを寄せてくださる方は、コメントくださってもくださらなくても結構ですので、それぞれの場で一緒にお祈りいただければと思います。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

体や心が求めるリズム

2018/6/30

 

 

お客さまからあんこにお花をいただきました。

黄色と白のお花が初夏らしくって、とてもきれいキラ

これまでにも定期的にお供えしてくださって、あんこのことを変わらず愛してくださっていることが、本当にうれしく感謝ですキラキラ

ありがとうございます。

 

 

+ + + + + + + + + +

 

 

この春から某国営放送で放映している番組「チコちゃんに叱られる!」が大好きです。

ちょっとブラックなあのキャラクターが最高!

ってわけで、ほぼ毎週楽しみに観ています(^-^)

で、昨日放映されたネタの中から、ふと気づいたことがあったので書き残したいと思います。

 

 

 

それは、

『人はなぜ電車に乗っていると眠くなるのか?』という質問に対する答え。

結論から言うと、電車の規則的な音がお母さんの胎内にいる時に聴いていた音(母親の心音や外部から聞こえてくる音など)ととてもよく似ていて、無意識のうちに安心感を感じているから、ということでした。

どうやら音の大きさももちらも85㏈で、ほぼ同じだそうですよ!

 

 

この答えを聞いていて何に気づいたのかと言うと、、、

リラクセンスや整膚のセッションを行なっていると、ほとんどの方が眠ってしまうのですが、その眠り方というのが、まさに電車に乗って寝ている時のように、”気づいたら眠っていた”という感じなんです。

時には、つい今までしゃべっていたのに、答えがないな~と思ってみたら眠っていたということも(笑)

リラクセンスに至っては、体はゆらゆら揺れたり、手や足を動かしていたりするにもかかわらず、いつの間にか眠っているという(笑)

“寝落ちる”という言葉がピッタリな感じです。

 

 

そしてこれも電車の中の居眠りと似ているなぁと思うのが、すご~く深く眠っている感覚なんだけど、どこかで”起きている”ような感覚もあって、それは夜、布団やベッドで眠っている時とは明らかに違う感覚なんですね。

(あ、でも酔っぱらって寝ちゃってるときは別ですが^_^;)

もちろんリラクセンスや整膚のセッションでは、電車の中のような”音”はありませんし、あんなに振動することはありません。

けれど、何か共通することがあるんじゃないかな?と考えて思いついたのが、”リズム”。

 

 

赤ちゃんがお母さんのおなかの中で聴いていた音やそのリズムは、赤ちゃんにとっての大きな安心材料。

もちろんお母さんも生きて動いているから、そのリズムは必ずしも毎日、毎瞬、一定ではないはずです。

それでもお母さんが日々当たり前のように過ごしている日常の中で心臓や体が刻むリズムは、一心同体である赤ちゃんにとっても、この上なく安心できる心地よいリズムなんだろうなぁ。

 

 

翻って、リラクセンスや整膚を行うときにわたしがとても大切にしているのは(というよりも、これがないとセッションが成立しないというくらい肝となっていることです)、相手の皮膚から伝わってくる、その時の体のリズムに合わせること。

この際の体のリズムというのは、普段はご本人でさえも意識していない無意識の領域の体のリズム。

本能がつくり出すリズムと言っても良いかもしれません。

だからこそ、これほどまでに心地いい眠りに誘われるのですねZZZ

逆にその体の醸し出すリズムに合っていないと、そのことを体は敏感に感じとり、反発するような動きが出てしまったり、眠りに至るには程遠かったりしてしまいます。

無意識や本能が求めるリズムに同調する、共鳴することは、それほどまでに深いリラックスへと誘うのですね。

そして、その深いリラックスの境地へと誘うきっかけさえ作れれば、体のみならず精神的にも深い癒しと安心感を得ていただくことができるのだな。。。

 

 

チコちゃんの番組を観ていてそんなことを想い、リラクセンスや整膚がもたらしてくれるものの深さや大きさを再確認しました。

 

 

 

明日から7月、暑さも本格的になってきますね。

毎日変化する体のリズムに、きちんと寄り添ってあげましょう♪

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

明日1日の22時より30分間、遠隔氣療を行います。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

 

言葉にできない

2018/6/23

前回ブログを更新してからずいぶん時間が経ってしまいました。

その間、リラクセンスの研修会に参加して、これまでないくらいの衝撃的に深い体験をしたり、セッションの場面でもお客さまに大きな変化が出ていたり、真正面から命と向き合うようなお仕事をいただいたりと、お伝えしたいことは山ほどあるのですけれど、

いざパソコンに向かって言葉にしてみると、伝えたいことの半分も伝わり切らないような気がして、言葉だけが上滑りしてしまうような感じがして、手が止まってしまったことが何度もありました。

「本当に大切なこと、伝えたいことは言葉では表現できない」

子どもの頃に何度も感じたこんな想いが、今また蘇ってきている感じ?

それはちょっとジレンマではあるけれど、無理をして中途半端なことを書くのも自分に正直ではない感じがします。

もう少し、もう少ししたら、スルスルと書けるような気もするので、今は言葉にできない自分に寄り添ってみようと思います。

 

 

一日ごとにお天気も気温も変化する時期。

皆さまもどうぞご自愛くださいね。

 

 

常に自分自身であり続けること

2018/6/6

6月に入って、もうすぐ梅雨も間近なのかな?と思わせるようなしっとり雨模様の逗子の街。

あんこが旅立ってから、ちょうど3か月が経ちました。

 

 

 

 

この写真は多分、ブログにもFBにも投稿していなかったと思う、息を引き取った直後のあんこです。

 

なんてきれいなんだろう。。。

なんて幸せそうなんだろう。。。

自分の生を生ききった生き物の顔というのは、こんなに美しいものなんだな。。。

 

ひっそりとただ”そこにある”だけなのに、言葉を超えた圧倒的な説得力。

ただただ見つめるしかできませんでした。

そして、余計な言葉を語らせないあんこの最期の顔は、わたしにただ一つのことを語りかけてくれました。

 

 

いつも”自分”として生きることを。

 

 

あんこが幸せに生ききったからと言って、わたしがとてもすばらしい飼い主だったわけでは決してありません。

イライラしている時に八つ当たりをしたことも数えきれないほどあったし、粗相をしたら声を荒げることも何度もあったし、徘徊し始めた頃などは「いい加減にして!」と叫んだこともあったし、

わたしの後悔が無いわけでは、決してありません。

でも、それでもあんこは幸せだったんですよね。

自分の生を全うしたんですよね。

それをわたし自身が何の掛値もなく感じられるのが、不思議で仕方なかったけれど、

しばらくして気づきました。

 

 

あんこはいつでも、どんな状況でも、”自分”という存在のままでいた。

だから、外側の状況がどうであれ、自分に与えられている”今ここ”に生きることができた。

だから、外側の状況がどうであれ、いつも幸せを感じることができた。

 

 

人間以外の動物は、きっとそんな風に生きることが自然にできるのでしょう。

けれど人間は、言葉をもって思考することを学び、そのおかげで多くのものを築き上げることがてきた半面、

当たり前のようにできていたはずの、常に自分自身とつながって、自分の中心に立って、感謝とともに”今ここ”だけに生きることができづらくなってしまった。

幸せ、ということの本当の意味を感じづらくなってしまったのかもしれません。

 

 

 

「わたしもこんな顔をして逝きたい」

それを痛烈に感じさせてくれたのが、あんこの最期の顔でした。

そのために必要なのは、常に自分に対して素直でいる、正直であること、常に自分自身であり続けること、

それ以外の努力は何も必要ないのだということも、あんこが教えてくれました。

 

それを実践し続けたこの3か月は、とてもひっそりとした静寂の中にあったような感覚でありながら、とても強力にわたしの内面を変えてくれています。

いえ、”変えている”のではなく、きっと本来の自分に”戻っている”だけなのですね。

だからこんなに心地良いのでしょう。

 

 

 

自分がどんな風に死を迎えたいか?ということを見つめると、そのためにはどう在るべきか?という自分の求める”在り方”が見えてきます。

大切なのは”何をするか”ではなくて、”どうあるか”。

 

最期の時まで常に自分の中心にいて、自分らしく立っていたい。

こんな顔で逝けるように。。。

 

 

 

 

父の写真に思ったこと

2018/5/21

もう半年前くらいのことですけれど、両親の品物を整理している時に、父親が職場の人たちと映っている写真が出てきました。

研修旅行か何かの写真で、後輩相手に講義をしていると思われるものや、飲み会での一コマや仲間と談笑している写真。

撮影日から計算すると53歳くらいの父親の姿。

ちょうど今のわたしくらいの年齢なんだなぁ、、、と思うと、不思議な気がしました。

 

 

その年齢の頃の父は既に中学生と社会人の娘3人を育て、家を買い、家計を支え、家族5人がつつがなく生きるためにがんばってくれていた。

一人の社会人として仕事を持ち、一方で地域の子どもたちの育成に時間と力を注いでいた。

あの頃のわたしは全く理解することはなかったけれど、あの頃の父と同じくらいの年になった今わが身を振り返ると、本当に立派な人だったのだと実感されます。

 

 

 

両親が亡くなってから四半世紀近くなりますけれど、「わたしの年の頃の両親は・・・」と振り返ることがよくあって、その度に、その足元にも及ばず何も成すことができていない自分を、心のどこかで恥じていました。

結婚もしていない、子どもを生み育てることもしていない、家族を養うどころか自分ひとりの生活で精一杯、、、

そんな未熟な自分を許せなくて、心の奥底でずっと責めていたのだと思います。

 

 

けれど自分を責めることを止めて、そんな未熟な自分で良いよと自分自身が受け容れ、認め、未熟な自分で生きることを自分に許してあげたとき、

与えてもらっていたものが如何にたくさんあったのかに気づくことができ、同時に、そんなにたくさんのものを与えてもらっていたにも関わらず、その恵みに深く感謝することなく生きてきた自分の傲慢さを知りました。

家も、仕事も、大切な人たちも、そしてこの命さえも、

必要なものはすべて最初から与えられていたんですね。

 

 

 

今この瞬間にも、たくさんのものが与えられていて、その中には表面上は「こんなの要らない!」と思うようなこともあるかもしれないけれど、

それさえも自分のために与えられたものなのかもしれないと考えることさえできれば、そのマイナスに見えるものが自分にとっての大切な学びであり、大きなギフトに変わるのだということも理解できるのだと思います。

起こること全てに感謝する、というのはそういう意味なんですね。

 

 

 

振り返ってみれば、今こんな風にセラピストとして仕事をして、こんなに素敵な人たちに囲まれて生活しているなんて、昔は全く想像もできなかったこと。

そう考えると10年後、20年後の自分は、きっと今の自分には想像もできないような生活をしているんだろうな~

そんなことを想像していると、時間や経験ってとても不思議で素敵だな・・・と感じます。

 

 

 

両親が生み出し大切に育ててくれたこの命を、これからは喜びで満たせるようにしていきたい。

そんなことを素直に口に出せるようになったことが、わたしにとっては何よりうれしいことです。

やっぱりちょっと照れますけどね(*゚ー゚)ゞ

喜びから生きる

2018/5/13

最近、「一度チコちゃんに叱られてみたい!」と思っているわたしです(笑)

(「?」な方は、こちらをご覧くださいね → 

 

 

 

さて、急にまじめになりますが・・・

 

 

昨年あたりからわたしの中でキーワードとなっていた「喜びから生きる」こと。

そんな中、ひと月ほど前に友人から聞いたアニータ・ムアジャーニさんの名前とその臨死体験。

臨死体験についてはいろいろな方が話をされているし、これまでにも数々聞いたことがありましたけれど、これまでのどの話よりも、この動画が届けてくれるメッセージはわたしの心に響きました。

 

 

ぜひこちらの動画をご覧ください ⇒ 

 

 

わたしはもう何回、繰り返しこの動画を見ているんだろう?

そして見るたびに、彼女からのメッセージを魂の奥深くに刷りこむ作業をしているような気がします。

 

 

もちろん動画をご覧になった全ての方が同じように感じられるわけではないと思いますけれど、

彼女の言葉から深い救いを見出し、希望の光を見つける方もいらっしゃると思いますし、また、何かしらの気づきのきっかけにしていただければと思います。

 

 

 

喜びから生きるということは、きっと、「○○だからうれしい」、「○○だから幸せ」などと、頭で理解したり論理的に説明できるようなものではなくて、

言葉ではうまく説明できなくても、心も体も、その奥底までも何のわだかまりも感じることなく、細胞の一つひとつまでもが喜びを感じながら、日々を過ごしている・・・

そんな状態なのではないかな?と思います。

そして、そんな感覚的なものを大切にすることが、喜びから生きること、自分らしくあることの目印や道しるべになるのではないかな?ということを、わたし自身の経験から肌で感じます。

 

 

 

この世界に住むわたしたちみんなが、「喜びから人生を生きる」こと。

実現したい世界です。

 

 

 

「だって自分で選んだんだから」

2018/5/6

実はわたし、ずっと昔から所ジョージさんが好きなんです♪

そう言うと、以前は「え~?!なんで?」って変人扱いされたものですけど(笑)、最近は「分かる、分かる~!わたしも好き~!」という人が増えてきました。

ある方が、「時代が彼についてきた」と言われていたけれど、そういうことなのかもしれませんね。

 

 

所さんの楽しく自由な生き方に憧れる人はとっても多いと思います。

多趣味なことでも知られているけれど、多趣味だから素敵だというわけじゃないんでしょうね。

多趣味なだけの人ならたくさんいるけれど、その人たちみんながみんな、憧れられるような生き方なわけじゃないし(笑)

所さんを所さんたらしめる部分はどこなんだろう?と思っていたら、先日、「あぁ!」と思わせられる発言に出合いました。

 

 

愛妻家でも知られる所さんですけれど、リポーターだったかな?からの「奥さんに不満はないんですか?」というような質問に対する所さんの答えが

「だって自分で選んだ人だから」

!!

何気なく発せられた一言でしたけれど、実は所さんの生き方への姿勢がすごく如実に表れている言葉だなぁ、と思いました。

 

 

わたしたちは毎日、毎瞬、何かを選択して生きています。

その中でも結婚は人生で最大の選択の一つだと思うんですね。

お見合い結婚だろうと恋愛結婚だろうと、その相手と結婚すると決めたのは自分自身。

自分で決めた相手のことを悪く言うのは、その相手を選んだ自分自身を貶めると同じこと。

自分が選んだのだという自覚と、その自分自身に対する自信と責任感があればこそ、この発言になるのだな・・・と思いました。

 

 

所さんは当たり前のようにサラッと言われていましたけれど、たとえ頭で分かっていても、それが自分の生き方として身に付いていなければ、なかなか言えることではないですよね。

自分自身を偽らず、自分が選び取ってきたことに不満を言うのではなく責任を持つ。

そういえば、彼が人を悪く言うのを聞いたことがないなぁ。

自分を大切にするというのは、こういうことなんですね、きっと。

本当にすごいなぁ~と思うんですけど、あのキャラクターだから全くお説教臭く響かない。

それもまたすごいところだし、だからこそ「こんな風に生きたいなぁ」と思わせてくれるのでしょうね。

 

 

そしてこれは、結婚相手やその他の対人関係に限ったことではなく、例えば仕事や学校など、環境に対してもいえることだと思うんです。

わたしなんて、少しうまくいかないことがあったりすると、相手のせいにしたり環境のせいにしてしまうことがよくあります?

でも、その人間関係を選んだのも、その環境を選んだのも、最終的には自分自身。

たとえそれが他人から勧められたことだとしても、「他に選択肢がなかったんだもん」と言い訳したくなるような場合でも、それでも最終的に決めたのは自分自身なはず。

どんな状況でも、自分が決めたのだという自覚を持ち、自分が決めたことへの責任を持つことが、楽しく自由に生きることへの第一歩なんですね。

 

 

 

大好きな所さんの生き方の根底に流れる、自分自身と人生に対する真っ直ぐな姿勢。

少しでも身につけて、自分らしい”人生の達人”を目指していきたいなと思います。

 

 

 

ピンチは天からのサポート

2018/5/4

去年の秋くらいから、周囲に感じていた変化の波。

3月あたりからその波が大きくなっているような気がしていて、それぞれが新しい環境に突入したり、内面の変化を粛々と受け止められていたり。

その変化に対して、するっと簡単に対応できる人もいるけれど、あまりに変化が大きいと、受け止めきるまでに時間が必要な方もいらっしゃいます。

 

 

わたし自身も、これまでに大小さまざまな変化を通り抜けてきましたけれど、今になって振り返ってみると

人生の岐路ともいうべき大きな変化の時には、それは、「なんでこんなことが起こるの?!」と言いたくなるような、衝撃的な出来事として表れることが多かったな~と思います。

 

 

例えば、今の仕事に踏み切ったきっかけとなったのは、前職場で、ある

意味理不尽な形で、給料の3割減を言い渡されたことでした。

 

 

元々が決して高いお給料ではなかったところへ、期限なしの3割減。

その後の生活を考えると、途方に暮れるばかりでした。

「なぜわたしがこんな目に合わなければいけないの?!」と、そんな状況に追い込んだ人物を恨みがましく思いながらも、怒りのぶつけようがない夜を一晩過ごし、

けれど一夜明けて、ふと頭をよぎったのは、「そうか、潮時なんだ!」ということでした。

 

 

その頃はすでに整膚を学んでいて、就業後に毎晩、整膚を紹介してくださった整骨院で患者さんへの整膚をさせていただき、修業していて、

その年の終わりころに、整膚を仕事にできたら良いなぁ~と目標だけは定めていたところでした。

ですが冷静に考えると、それまでずっと会社員として働いてお給料をいただいていたわたし、

会社へ行きさえすれば、月々決まった金額を手にすることができる立場を捨てることが、本当にできたのか?と考えると、

きっと自力ではできなかっただろうということは、容易に想像できました。

 

 

だから、辞めざるを得ない状況を作ってもらえたのだということが、ストンと腑に落ちたのでした。

それ以来、表面上はどうにも理解できないほどひどいことが起こったり、「なぜこんなことが?」と思うような悲惨な状況に陥ったりしたときは、「この状況は、わたしに何を教えてくれようとしているのか?」と問いかけるようになりました。

天からのサポートを逃すまい、と思うようになりました。

すると、自分がどうするべきか?ということが、少しずつ見えてくるようになりました。

そして、”ピンチはチャンス”という言葉の意味を、少しだけ理解できるようになりました。

そして、苦しみを超えることが、少しずつ楽になってきたような気がしています。

 

 

楽しいことばかりだったら、人生どんなに良いだろう!と思うことは多々ありますけれど、

振り返ってみれば、自分が大きく成長出来たときというのは、いつも苦しいことや辛いことと逃げずに向き合った時だったな・・と思います。

 

 

 

今まさに変化の苦しみの真っただ中にいる!という方もいらっしゃると思いますけれど、それも、より自分らしい楽しい人生に至るまでの途中経過、決してここがゴールではありません。

人生に乗り越えられない壁は無い、

必ず通り抜けられることを信じています。