整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

contact
access

ブログ

愛と感謝は大自然の掟

2018/4/1

わたしにはバイブルのように何度も読み返す本が何冊かあるのですけれど、その中の1冊

『水は答えを知っている』

 

 

 

水の研究で知られている、故 江本勝先生の有名なご著書。

氷ではなく水の結晶の写真が数多く載っているユニークな本ですが、単なる水の結晶の写真集ではなく、自然が教えてくれる大自然の摂理に触れることができます。

 

 

この本の中では、様々な状況下で水がどのような結晶をつくり出すか、たくさんの実験が行われています。

「愛」や「感謝」、「ばかやろう」などの言葉を水に見せると、どのような結晶をつくるのか、

クラシック音楽を聴かせたり、ジャズやヘビメタを聴かせるとどの様な結晶をつくるのか。

結果としては、「愛」「感謝」「宇宙」などの言葉を見せたり、クラシック音楽を聴かせたときには、それはそれは美しい結晶をつくるのに、「ばかやろう」という言葉を見せたり、ヘビメタを聴かせたりしたときには、全く結晶の形をつくらなくなってしまう。

また、自然の湧水などではきれいな結晶がつくられるのに、水道水や電子レンジにかけた水などでは、結晶は無残にもバラバラになってしまう。

 

このような結果が出た要因として、作者はこのように述べています。

「それは全てが振動だからです。水は物が持っている固有の周波数を敏感に感じとり、そのまま転写するのです。」

世界の大陸をつないで漂う海も、山や谷間を流れる川も、わたしたちが日々使っている水道水も、わたしたちの体内を流れる体液も、

触れるものの情報の全てをその中に写しとって、その水自身の周波数を創り上げているということなのですね。

わたしたちの周囲にあふれる水を、本来の美味しく質の良い水に変えるには、わたしたちが如何に水にいい情報を与えることができるか、如何に愛や感謝に満ちた日常を送ることができるのかによると言っても、過言ではないのかもしれません。

 

数々の水の結晶の写真は、自然が与えてくれる美しさを伝えてくれるのみならず、大自然の叡智や、わたしたち人間がいかに生きるべきか?という深遠なテーマをも考えさせてくれるきっかけにもなっているんですね。

 

 

 

何度読み返しても、毎回新しい発見があり、毎回深い感動に包まれるこの本ですが、数日前から読み返している今回、ふと目に留まり深く感銘を受けた箇所がありました。

ちょっと長くなりますけれど、引用させていただきますね。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

水が凍るとき、水の分子は整然と連なって結晶格子をつくります。これが六角形の構造となって安定し成長すると水の結晶となって目に見えるわけですが、自然とは違う情報がそこにもたらされると、きれいな六角形が形成されないのです。
「ありがとう」「愛」「感謝」という言葉は、大自然の掟、生命現象の根本原理なのです。だから、水は自然そのままの六角形の形をきれいにつくってくれます。
 それに対して、「ばかやろう」という言葉は自然の中にはなく、人間がつくり出した不自然な言葉なのでしょう。人をののしる言葉、傷つける言葉、ばかにする言葉などは、人間が文明を築きはじめてからつくり出したものだと思われます。
 大自然には、おそらく「愛と感謝」のバイブレーションしか存在していないのでしょう。それは、自然の風景を見ればよくわかります。木々や草花はお互いに尊重しあい、共存しあって生きています。動物たちも同じです。ライオンもお腹がすいたときを除いて、むやみに他の動物を食べません。木の下で太陽の光があたらないといって不平をいう草花もなければ、エサをひとり占めにしようとたくらむ動物もいないのです。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

自然界には「愛と感謝」などの美しい言葉しか存在せず、人をののしり傷つけるような言葉は存在しない。

とすれば、大自然の一員であるわたしたち人間も、もともとは「愛と感謝」でできているはず。

核となる部分では、人を傷つけるような負の言葉は持ち合わせていないはずですよね。

このことに、わたしは深く感動してしまったわけです。

 

 

 

人間の体の70%は水でできています。

(あ、年代によって少なからず差はありますけどね汗②

自分の体の大半を占める水を愛と感謝で満たすことは、大自然の理にかなっていて、大自然の一員として地球に生まれた人間が、この世界と調和して幸せに生きるためには、欠かすことのできない要因だということですね。

「自分を大切にする」ということの本当の意味を、ここに見出したような気がしました。

 

 

 

自分の体を愛と感謝で満たして、自分自身を慈しんで生きる。

わたし自身そんな風に生きていきたいと思うのはもちろんですけれど、

わたしの周囲の大切な人たちみんなも、いつも自分自身を愛と感謝で満たしていてほしい、みんなで共調しあって生きていきたい。。。

そんな甘いこと、と言う人もいるかもしれませんけれど、そんな世界を現実にできることを心から信じ、実践していきたいと思います。

 

 

 

あんこが遺してくれた大きなもの

2018/3/30

昨日リラクセンスの施術をしている時に、突然気づいたことがありました。

それは、目の前のお客さまの体の声を聴くことが、いつの間にかごく当たり前のこととして、何の努力をすることもなくできていた、ということ。

それまで繰り返し自分に言い聞かせてきたように、自分の意見や予測、自我を手放すように意識することもなく、気づいたら、ただ相手の体の求める動きを感じることだけに集中できていたのでした。

何の努力もせずに、全くの無意識のうちに。

そのセッションの間、「この方が良いのか?こうするべきか?」などと考えたり意図することもなく、ただただ相手の体を感じ、相手の体が表現したいことにそっと手を添えることだけができ、その方の体が緊張をほどいて自由になっていく。

お互いが共鳴するその空間の心地よさに身をゆだねていると、相手の体を感じることはわたしにとってとても自然で、何の無理もせずにできることなのだ、ということに気づき、

そして、わたしは「感じる」ことを何よりも大切にしているのだということにも、改めて気づいたのでした。

 

 

そうだった、わたしはずっと、こうして「感じる」ことが好きだった。

昔からいつも、全てを感じ取りたいと思っていたんだった。

それを突き詰め過ぎて苦しくなってしまったこともあったし、時には感じることがとても難しく思えて、自分を追い込んでしまったこともあったけれど、

自分に素直になれば自我を捨てる必要もなく、努力して相手に寄り添おうとする必要もなく、「感じる」ことはこんなに自然で、こんなに心地良くできることだったんだ、と。

 

 

こんなに素直に「感じる」ことに集中できた要因の一つには、あんこがこの世を去ってから、自分自身を静かに見つめていた時間があったことも大きいかもしれないな、と思います。

 

あんこが旅立って3週間以上が経ち、この間いつものように時は過ぎ、表面上は普段の通りに過ごしていましたけれど、根底にあるものがどこか今までとは全く違っていました。

確実に時は経ち、それとともに少しずつあんこと過ごした日々が遠ざかっていくのが寂しく怖いような、

そしてあんこの飼い主でなくなった自分はとても小さな存在で、自分がむき出しになってしまったような頼りなさを感じる一方で、

あんこと過ごした年月を振り返るとき、やはりそれは言葉では言い尽くせない感謝や充実感に満ちた豊かなもので、思い残すことは何もないのだということに言い知れぬ幸せを感じもします。

でも、やはりどこかぽっかり穴が空いてしまったような、それでいて、どこかふわりとして現実感がない感覚。

 

寂しくて仕方ないというのではなく、かと言って、全く寂しくないわけでもなく、

今までと全く同じように過ごしているけれど、わたしの周囲の半径数mくらいの空気が、不思議なくらい静まり返っているような感覚とでもいうのでしょうか。

そのしんとした静かな感覚に、これは一体何なんだろう?と思いながらも、湧き上がってきた感情を感じるままに過ごしていました。

その時間はわたしに、自分の奥の奥にいる素の自分と向き合う機会を与えてくれたようでした。

 

 

 

あんこがいなくなってから、あんこはとても不思議な個性を持った子だったということにも、改めて気づかされました。

何を主張するでもなく、声高に何を要求するでもなく、ただゆるりとそこにいる。

それなのに出会う人の胸の中に大きな何かを残していく。

ただ「あんこ」という1頭の犬としてそこにいるだけで、たくさんの人の心を癒してきたあの子の在り方。

それは、わたしがずっと理想の生き方として求め続けていたものでもありました。

そしてそんなあんこの気配は、今もわたしの周囲に残っている。

それが切なくも嬉しい半面、いつかその気配がなくなってしまうのでは?という不安を感じてもいたのですけれど、

あんこはその生きる姿を通して、わたしがずっと求め続けていたものを表してくれていたのでした。

 

それに気づいた瞬間、ありがたいとか幸せとか、そんな一言では言い表せないような大きな感情が胸の奥にこみ上げてきました。

 

 

 

「感じる」ことは、わたしにとって呼吸と同じようにとても自然なこと。

相手の体を感じること、
そして相手の方もそれを存分に感じ、表現し、寛ぐことができるように、そっと手を添えること。

それはわたしにとって、とても自然で楽しいこと。

その喜びを取り戻せたことは、本当にありがたく幸せです。

この「体を感じる」ということを通して、周囲の全ての人たちがともに幸せになるための道を探し続けていきたいと、改めて思います。

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

都合により、今回の遠隔氣療は明日31日の土曜日に行わせていただきます。
時間はいつもの通り22時より30分間です。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

 

限りがあるからこそ美しい

2018/3/20

今日の施術中、突然、受けてくださっている方の人生の道のり、タイムラインのようなもののイメージが浮かんできました。

開業当初から施術をさせていただいていて、もう8年くらいのお付き合いの体。

長年の無理がたたって、体の奥深くに複雑な緊張があったお体ですが、最近になって、いよいよ最深部に残っていた緊張を手放しつつあります。

ご自分のペースでしっかりとご自身の体と向き合ってきたこの年月に歩んで来られた道のりが、はっきりと目の前に現れたような気がしました。

 

 

毎日の生活の中で、時にはちょっと疲れて歩みが遅くなったこともあるでしょう。

トントンと、全てが調子よく進んだこともあったでしょう。

登ったり下ったり、時にはちょっと引き返したり、寄り道したり、

晴れた日曇った日、雨降りの日も、変わらずにご自分と向き合ってこられた長い道のり。

もちろんわたしはその間ずっとそばにいたわけではなく、道のりの途中途中で、一瞬関わっては離れ、また関わっては離れ、お互いに影響し合い、

もちろん人によって、それが週に一度だったり、月に一度だったり、数か月に一度だったり、たった一度だけであったりと違いはありますけれど、

そうやって瞬間、瞬間をご一緒させていただいてきたことが、とても貴重なことだったのだということが実感されました。

 

 

そしてこんなイメージを感慨深く眺めていて気づいたのは、

これまでも、「今この瞬間を大切に」と思って施術をし、毎日を過ごしてきたつもりだったけれど、本当にその都度その瞬間だけにしっかりと向き合っていたのだろうか?ということ。

ときには「今ここ」と思った次の瞬間に、それより先のことを考えているわたしがいたこともありました。

今施術をしていながら、次回はこうアプローチしようか・・・などと考えていたこともありました。

 

本当は、次があるかどうかなんて誰にも分らない。

1時間後のことだって、どうなるか分からない。

ハッキリしていることは「今ここ、この瞬間」しかない。

「また次」があると当たり前のように思っているけれど、その当たり前がなくなる時が必ず来るし、それがいつなのかは分からない。

だから今ここで、この瞬間に全力を出す。

それが、自分に正直に生きることに他ならず、またその瞬間を輝かせることになるのだ。

 

頭では理解していたこんな当たり前のことが、体の中に一段深く入ったような気がしました。

 

 

 

あんこが旅立ってから荼毘にふすまでの2日間、あんこの静かな顔を見ていて思ったことがありました。

「こんなにきれいなのに、なんでずっとこのまま置いておくことができないんだろう?」

完全な幸せに満ちた美しい顔を見ていて、それを焼かなければいけないことが、どこか間違っているような、理不尽なことのように思えたんです。

 

そして次の瞬間、理解したこと。

「永遠に続かないと分かっているから、こんなにも美しいと感じ、こんなにも愛おしく切ないのだ」

限りあるから、お別れしなければいけないと分かっているから、この刹那をこの上なく美しいと感じるのですね。

 

 

 

限りある時間の中で、生をしっかりと味わい感じることができるのは、今ここ、この瞬間しかない。

限りある命だから、出会っている今この瞬間、できる限りの愛を注いで精一杯関わりたいと願う。

別れがあるからこそ今を大切にできるのだということを、いつも忘れずに過ごしたいと思います。

 

 

 

アニコミ~愛されている、ただそれだけで・・・

2018/3/12

今朝、少し早く目が覚めたので、あんことお話をしてみました。

生前は、何故かあんことはうまくコミュニケーションできなかったのですけれど(おそらく飼い主としての思い入れが強すぎたのでしょうね汗)、今朝はびっくりするくらいすんなりとお話しできました。

 

 

生前から聞いてみたいことが幾つかありました。

それは、

認知症になっていた間、あんこの意識はどんな感じだったのか?わたしのことを認識できていたのか?ということと、

わたしのサポートをするという目的以外に、1頭の犬としての生きる目的は何だったのか?

ということでした。

 

それに対するあんこからの答えは、きっと飼い主の方にとって何かしらの助けになるのではないかと思ったので、あんこから伝えてもらった感覚を、できるだけそのままお伝えしようと思います。

 

★わたしがアニコミをするときは、わたしたち人間が普段使っている「言葉」という形で受け取ることもありますけれど、映像やイメージ、漠然とした感覚で受け取ることがとても多いのです。
それをご依頼主にお伝えするときは、その感覚やイメージを表現するのに一番合っていると思われる言葉を探し、変換してお伝えしています。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

(認知症について)

 

(認知症を含むあらゆる病気について)

意識より先に体が衰えることがある

意識の方は活動できるのに

それができなくなる

だからその衰え具合に準じて

意識をときどきあちら側へもっていく

 

(若くして認知症になるのも)

脳の機能だけが先に衰えるから

同じようなことが起こる

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

イメージとしては、

例えば一日の活動を維持するための体のエネルギーが不足していて、その不足している時間帯は意識の方は一緒に活動することができないので、その余剰分をあちらの世界で過ごして使う・・・

そんな感じのイメージを受け取りました。

 

飼い主さんを全く認識できなくなるわけではなく、あちら側へ行っている分、傍から見るとぼやっとしていて、分かっていないんじゃないか?と感じてしまう。

そして、認知症の進み具合によって、あちらへ行っている時間が短かったり長かったりするようです。

実際あんこも最期の2~3年は認知症の症状がありましたけれど、特にここ最近は、ほとんど魂の存在になっている?というくらいぼんやりしていることが多かったです。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

(あんこの犬生の目的について)

 

(海岸を走りまわったり山道を歩いたり、散歩中にあんこを連れて犬仲間とおしゃべりしている時のイメージを送ってくれて)

こうして走ったり遊んだり

この地球の自然に触れ

犬として生き生きと

エネルギーを爆発させることができたこと

そして人間の愛に触れることができた

それが全て

それ以上のものは何も必要ない

 

飼い主とともに生き

愛を注がれ

走り 遊び

それだけで犬は

この世での幸せを満喫している

 

たとえ病気の子であっても

何とか良くしてあげたいという

飼い主の想いこそが

その子がこの世で味わいたいと思っていた幸せ

病気は元々分かっていたこと

選んで生まれる

 

自分の喜びを味わうため

飼い主の学びのため

その両方を達成するために

必要な体を選んで生まれてくる

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

わたしはあんこ自身について質問したのですけれど、返ってきた答えはあんこ自身のことでもあり、犬という生き物全般について教えてくれるものでもありました。

「おかーさん一人のことばかり考えないで、みんなにちゃんと伝えてね」

そう言われているような気がしました。

やっぱりあんこの方が一枚上手、かないませんね(笑)

 

 

わたしたち人間はとかく、「ああすれば良かった、こうすれば良かった」と後悔したり、

長く患っていた子に対しては、「治療をやり過ぎたのではないか?」と後悔したり、

できなかったこと、やり過ぎてしまったことなどを悔やんでしまいがちですけれど、

犬たちは、物質的に何をやってもらったかという結果よりも、そこに至るまで飼い主さんが、

「どうしたらこの子はうれしいんだろう?」

「どうすることがこの子にとって一番良いんだろう?」と、

自分のために考えてくれるその姿、その愛情こそを大切に思い、それを感じられるだけで十分幸せなんですね。

なのに、そのことが飼い主さんに伝わらず、飼い主さんが自分のことを責め続けたり、後悔し続けて閉じこもってしまうことは、犬たちにとっては何よりも悲しく辛いことなんです。

「こんなに幸せだって伝えているのに、『そんなはずはない』って言って、なかなか分かってくれない」と、悲しい思いをさせてしまいます。

だから、自分の後悔は後悔として持っていたとしても(全く後悔しないなんてことはありませんから)、それとは別の視点をもって、

「あの子は幸せだと感じているんだ」と、そのことだけは理解してあげてほしいと思います。

それが、あちら側の世界へ旅立った子たちの何よりの願いであり、そうして初めて、愛する子の魂がいつもともにいる、ということを感じることができるのですから。

 

 

 

あんこが旅立ってから、たくさんの方々があんこに会いに来てくださって、わたしを慰めてくださいました。

そんな方々の中には、ご自身も愛犬や愛猫との別れを経験していらっしゃる方もたくさんいらして、中には別れの際の後悔の念から、未だ立ち直れない方もいらっしゃいました。

そんな方々に、あんこが伝えてくれたメッセージが届きますように・・・

そんな想いで、今日は書きました。

 

 

そして、あんこが旅立った翌日に来てくれた友人が、「悲しくて仕方なくなったら読んでね」と言って、置いていってくれた1冊の本。

 

 

この本が、訪れてくださった何人かの方の後悔の念を解放してくれました。

Cさん、ありがとう。

わたしの苦痛を少しでも和らげてあげたいと願うあなたの優しい気持ちが、わたしだけでなく、たくさんの方の心を温め、解放してくれたよ。

辛い気持ちを救い、前を向かせてくれるのは、いつも、相手を想う気持ち、愛なんですね。

 

 

 

光のポートレート

2018/3/4

セラピストの仕事を始めてから再開した「絵を描く」ということ。

今ではセッションの傍らで、aterier shi として、絵の仕事もさせていただいています。

 

 

描くことを再開したきっかけは、愛犬のあんこを描こうと思ったことでした。

シンプルで味のある「線」を描きたいと思った時に、利き手の右手ではうまく描こうとしてしまい、きれい過ぎてかえってつまらない絵になってしまうので、それではと左手で描こうと思ったのが、左手で描く絵のきっかけでした。

それから犬や猫の絵を描き始め、しばらくして天使の絵を描くようになりました。

 

 

左手で描く絵は、描いているわたし自身が思うよりもずっと、ずっとたくさんの方に喜んでいただけて、「見ているととても癒される」と言っていただくようになりました。

受け取ってくださった方々が、それぞれの想いの中で、その絵に意味を持たせてくださっているんですね。

そうやって喜んでいただけること、その人にとって意味ある絵としていただけることがとてもうれしくて、もう数えきれないほどの絵を左手で描いています。

そして喜んでいただければいただくほど、あるひとつの想いが自分の中に少しずつ芽生えてきました。

「みな同じ天使の絵ではなく、その人の内面の”何か”、その人自身の”光”を描けるようになりたい」と。

でも、その時のわたしには、それはとてつもなく高い理想のように思えて、なかなか手を出せずにいたんです。

もう5年ほども前のことでしょうか。

 

 

それ以来、折に触れそのことを想い出しながらも、なかなか描くには至らなかったのですけれど。。。

自分の中の様々な葛藤がクリアになってきた昨年末あたりからでしょうか、「描こうかな?描けるかな?」と思えるようになりました。

そしてそのタイミングでご縁のあった何人かの方に「光のポートレート」を描かせていただきました。

 

 

 

 

 

絵を受け取ってくださった方々からは、

「あれはわたしなんですね。子どものわたし」

「あの笑顔、宝物にします」

「なんだかすごく素敵すぎて・・・見ているとジーンときちゃいました」

などのお言葉をいただいて、ご自身の中の”何か”を感じていただけていることが、とてもうれしかったキラキラ

中には額に入れて飾ったり、SNSのプロフィール写真に使ってくださっている方もいて、この絵がその方にとって意味あるものとなっていることを想い、感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

 

だれの中にも、生まれたままの光が宿っている

わたしはずっと、そう信じています。

長い人生の中で傷ついたり苦しんだり、悲しみの涙に暮れることもたくさんあって、今は忘れてしまっているかもしれないけれど、

だれでも生まれたときから体の中心に光り輝く魂を持っていて、それはどんなことがあっても決して失われることはない。

そう信じています。

そして、そんな光の存在である姿を描き、あなたはこんなに美しいんだよ、とお伝えしたいと思っています。

 

 

 

 

利き手ではない左手で描く絵ですし、外面をそっくりに似せようと思って描くわけではありません。

けれどその絵の中からあなただけの光を見出し、一歩先へ踏み出すきっかけにしていただければ、とてもうれしく思います。

 

 

 

 

<光のポートレート>

1枚: 8,800円
(B4サイズ・1mm厚イラストレーションボード)

 

<お申し込み手順>

① ankoankomama*gmail.com までメールでお申し込みください。
(* を @ に変えてお送りください)

その際、①住所 ②お名前 ③連絡先電話番号 ④顔のはっきり写った写真をお送りください。
折り返しのメールで、振込口座番号をご連絡いたします。
(先払いでお願いいたします)

② 入金確認後、ポートレートをお描きし、いただいたご住所宛にご郵送いたします。

 

★通常は入金確認後1~2週間のうちにお送りいたします。
何らかの事情により大幅に遅れそうな場合は、お申込みいただいた時点でその旨をお伝えいたします。

 

 

 

 

 

お聞きになりたいことがありましたら、どうぞお気軽にお尋ねくださいね。

あなたの中の光を描かせていただければ、とてもうれしく思います。

お問い合わせ・お申し込みを心よりお待ちしております。

 

 

atrier shi
天野茂美

 

 

「体が怖がっている」を感じ、ただ眺める

2018/3/3

以前、「無意識~体に残る感情の記憶」と題して記事を書きました。

今日のセッションでは、お客さまご自身が鮮明にそれを体感されました。

 

 

うつ伏せで体幹部をゆるめた後、腕に軽く触れ、反応を見ていた時のことでした。

皮膚は明らかに内旋する方向へとわたしの手を導いてくれるのに、それを打ち消すような別の動きが出てきます。

この動きこそが、以前ブログにも書いたように、無意識にゆるむことにブレーキをかけてしまう動きです。

 

 

この方はこれまでにも、こういった動きが出ていたのですけれど、これまではその無意識の打ち消す動きの力の方が圧倒していたので、その動きに寄り添っていました。

けれど今日は今までとはちょっと違うと感じがしたので、体に新たな提案をしてみました。

それは打ち消す動きを無理に制するでもなく、でもそこに従うのでもなく、その動きがやむのを待ちながら、皮膚の動きに寄り添っていくこと。

打ち消されては待ち、皮膚の動きに寄り添い、また打ち消す動きが出てきては待ち、、、

そんなことを繰り返しているうちに、少しずつ打ち消す動きが少なくなくなり、その力も弱くなってきました。

すると、今まで出なかったような、肩関節からググッと腕を引き下げるような動きも表れ始めたのでした。

 

 

仰向けに戻ってもらいながら、その動きについてご本人がどんな感覚だったかをたずねると、「うん、違いは分かりました」とのお応え。

「体がそう動きたいんだということは分かったし、それが気持ち悪いとか嫌だということではなかったんですけど・・・
『え?まだそっちに行くんだ!』と思ったら、なんだか少し怖くなっちゃって・・・
それでそんな動きが出たみたいです」

そんな風に感じたことを伝えてくださいました。

 

 

そして続けてこんなことも。。。

「でも以前、『こうしなきゃ!と思わなくて良い』と言ってくださっていたから、『あぁ、今はまだ怖いんだな、そう動きたいんだなぁ』と、ただ眺めるようにしていました」

 

 

長いこと辛い状態が続いていると、体はその状態でうまくバランスを保ってきているので、ゆるむことでそのバランスが崩れることへの恐怖感が無意識のうちに体に残ってしまうことがあること、

それとともに、長年の自分の体への「これくらいしか動かない」という認識がなかなか抜けず、無意識に体の動きを制限してしまう場合もあるということ、

でも、そう言ったことが起こるのは、体の奥、芯の緊張が抜けてきた証拠だということ、

 

そんなことを以前にも何度かお伝えしていたので、今回のセッションでそれが明らかな体感として自覚できたようでした。

そして素晴らしいなと思ったことは、そんな今の自分の体の状態を、善悪の判断をすることなく、ただ「あぁ、そうなのか」と眺めていられたこと。

今の状態が途中経過にすぎないということを、しっかりと体で理解されているのですね。

 

 

自分の体の動きの違いをこれだけ鮮明に、頭だけでなく体でも理解されていれば、自然とブレーキを外せる日も、そう遠くはないはずです。

ご本人にそうお伝えすると、「楽しみです♪」と顔をほころばせてくださいました(#^.^#)

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

明日4日の22時より30分間、遠隔氣療を行います。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

だれでもいつも、お陰さま

2018/3/1

開業当初から通ってくださっている方。

20年以上ガチガチに緊張してロボットのような動きだった体。

ここへきて奥深くに寝強く残っていた緊張が、加速度的にゆるんできています。

長いこと緊張とうまく折り合って暮らしていたので、体の方もそれを手放すことが怖かったようで、ある程度浅い緊張が抜けてから、ちょっとペースを落としていましたけれど、

緊張に頼らなくても大丈夫なのだと、頭だけでなく体の方でも理解してくれたようです。

腑に落ちるとは、まさに体で理解すること。

そうなると、ブレーキを踏むことがなくなるので、気持ちよくゆるんでいく感覚をどんどん体感していただけます。

 

 

こうして長年にわたる辛い思いを少しずつ手放していく姿を目の当たりにできることは、とてもうれしいことですが、

そんな幸せな気持ちを味わいながら、ふと気づいたことがありました。

 

 

こうして素敵な仕事をさせていただいているけれど、そもそも整膚やリラクセンスを生み出してくださった偉大な先生方の存在無くしては、今こうしてこの仕事をすることはなかったんですよね。

そして、整膚をわたしに紹介してくださった先生がいらっしゃらなかったら、やはり整膚と出合うことはなかったかもしれません。

 

 

そして通ってくださっているお客さまの中には、友人や他のお客さまからのご紹介で来てくださった方もいらっしゃるわけで。。。

その方々の存在が無かったら、やはり今のお客さま方へ施術をさせていただくこともなかったんですよね。

 

 

実際に施術をしている場では、わたしとお客さまの二人きりですけれど、そこには何人もの、いえ、もしかしたら目に見えないけれど何十人にも及ぶ人たちが関わり、つないでくださった瞬間とも言えます。

そしてそれはもちろん施術の場面だけではなく、日常のあらゆる場面にも当てはまること。

生きているどの瞬間も、友人知人はもちろんのこと、名前すら知らないたくさんの人たちが関わり、創り上げてくれているのだということに気づきます。

だれもが、いつの時も、お陰さまで生きているんですね。

 

 

お陰さまの人生、できるだけたくさんの恩送りをしていきたいです。

 

 

「やった感」が無いくらいがちょうど良い

2018/2/26

昨日はリラクセンスの講習に行ってきました。

シンプルだからこそ、気をつけていないと我流になってしまいがちなので、こうして折に触れ基本に変える時間を持つことはとても大切。

そしてこの場に来るといつも、相手の体に寄り添うとはどういうことなのかを思い出させていもらえます。

 

 

 

昨日練習したのは基礎の基礎、「表面からのゆるみ」と「奥からのゆるみ」の復習。

同じ「ゆるめる」といっても、表面から遠くからではゆるみの質と深さが違います。

皮膚に置く手の圧、動かす幅、リズム、角度

全て相手の体の状態に合わせて行います。

と、書くのは簡単だし、頭では十分に理解していることなのですけれど、体はそのように反応してくれないことばかりで、ついつい自分のリズムになってしまっていることに気づきます汗①

 

 

自分では「よし、この手応えだな!」と感じていても、相手の方にとっては強すぎるということも多々あります。

反対に、相手の方が「あ、それそれ、すごくいい感じ!」と言ってくださったときというのは、わたしの感覚では「こんなので良いの?」という感じだったり。。。

「やっている感」が全くないくらいの時の方が、むしろ相手の方にとっては、自分のリズムに寄り添ってもらえていると感じられる。

この、相手が「気持ち良い」、「寄り添ってもらえている」と感じている時の、自分の「やっていない感」とのギャップをいかに埋められるか。

何度も何度も繰り返して、自分の体に染み込ませていかなきゃ!と思うのでした。

 

 

 

自分が相手のためにと思うことが、常に相手にとって心地よいとは限らない。

むしろ、相手のためにと思い過ぎることで、かえってやり過ぎてしまい、相手に重く感じさせてしまうことは、日常の人間関係でもよくありますよね汗

相手のことを100%理解することは誰もできません。

だからこそ、相手が本当に望んでいることは何だろう?と、心と体全部で感じようと努力し、相手の求める距離感で寄り添おうと思うことこそが、とても大切なのですね。

そんなことを思った昨日一日でした。

 

 

 

そして、一夜明けて今日、もう一つ思ったことがありました。

相手のためにと思いがんばってやっていることが、必ずしも良いとは限らない。

これは自分自身と向き合い、自分自身を相手にした時の姿勢についても言えることなのではないかな?と。

もっともっとがんばらなきゃ!

もっともっとがんばれるはず!

そうやっていつも自分を高めようとがんばっているけれど、もしかしたら、もう少し力を抜いてやった方が、もっと「やっている」感ないくらいでいた方が、より心地いい自分でいられて、望む結果が得られることもあるのかもしれないな・・・と。

その方が結果的に、ずっと深く自分に寄り添えることもあるんじゃないかな・・・と。

 

 

 

体と真摯に向き合うことは、いつもたくさんの大切なことに気づかせてくれ、真理を教えてくれます。

 

 

 

あの感動や喜びを忘れかけていました💦

2018/2/24

今日は開業当初から途切れることなく通ってくださっている方のセッションでした。

もう7年。

その間変わることなくずっと通い続けてくださっているということを改めて思うと、胸の奥がじんわりとしてきます。

淡々と日々を重ねている方の、一旦信じたものを信じぬく強さに触れさせていただいて、自分にはないその真摯な姿勢に、少しでも近づきたい、お応えしたいと思うのでした。

 

 

セッション後にお茶を飲みながら、その方が整膚と出合う前に受けていた施術のことについてお話ししてくださいました。

それは力を使った施術だったので、{「あ、来る、来る、来る~!って、触られる前から身構えちゃって、今思うと全然楽になってなかったのよね~」と。

でも、以前はそんな感じの施術が当たり前だったし、選択肢はなかったから仕方ありませんよね。

「だから整膚を初めて受けて、すごく気持ち良くて、失礼な話だけどグーグー寝ちゃってね。でも本当に良いものに出合えたと思っているの。」

そんなことを振り返って語ってくださいました。

 

 

この方の中では整膚に出合った時の喜びが、今も新鮮なまま残っているんだということを感じて、とてもうれしく思うのと同時に、

わたし自身はどうだろう?と振り返ってみると、あの頃の驚きや感動やキラキラした喜びが薄くなっていることに、はたと気づいてしまいました汗①

いつの間にか整膚やリラクセンスの素晴らしさも当たり前のものになってしまっていて、もちろんそれは技術が身に付いてきた証でもあると思うので、100%マイナスばかりではないけれど、

それでも当初のあれほどの感動が薄れてしまっているというのは、とても残念で悲しいこと。

でも気づくことができた今、あの頃のキラキラした喜びや感動を、もう一度取り戻していこう!

そう思えるきっかけをいただきました。

 

 

 

キラキラとか感動とか、心からの驚きや喜びっていうのは、いつも持っていたいものですね!

そして本当に大切なことは、いつも人から教えてもらえる。

本当にありがたいことですね。

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

明日25日の22時より30分間、遠隔氣療を行います。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

もっとささやかな声にも応えたい

2018/2/23

数日前まで比較的暖かい日が続いていたのに、昨日・今日と、寒の戻りのような冷え込みですね。

それでも春の気配はそこここに・・・

 

近所のミツマタはずいぶん黄色い花が開いています。

 

 

 

大好きな白い沈丁花。

こちらは開花までにはもう少し日を待たなければいけない様子。

待ち遠しい♪

 

 

気温差が大きいのはこの時期には当たり前のこととはいえ、今年は特に変化が大きく感じます。

まずはしっかりと睡眠をとって、足元首元を温かくして、できるだけ体を動かして、元気に乗り切りましょう!

 

 

 

このところ、これまで以上に自分のキャパを広げなさい!と言われているようなことがあり、自分の内側と対話する機会が多くなっていました。

それはちょっとだけ苦しくもありますけれど、自分の未熟さを知る良い機会になったことは確かで、

もっと自分を成長させたい!という励みになったような気がします。

 

以前は現状の未熟な自分を知ることがとても怖かったけれど、知って初めて前に進むことができるのだということを理解できるようになってからは、嫌々ながらも(笑)受け止められるようになりました。

「我」を破って初めて、「自我」を確立できるものなのかな、と思います。

 

 

 

そんな風にして、少しだけですけど「我」を手放すことができると、それはセッションにも必ずや反映されるもので、

それまでよりも少しだけ、相手の方の体のささやかな声が聴こえるようになってきます。

少しずつでも小さな声に耳を傾けることができるようになってくれば、それだけ早く楽になっていただけるという結果につながります。

ほんのわずかな体の声を感じ取れたとき、それに応えることができたとき、そして体がそれまでより一段深いレベルで緩んでいるという実感を持っていただけたとき、

それは本当に嬉しい瞬間です。

 

 

でもそれはセッションの時だけ気をつけていればそれで良いかというと、それは無理な話で、

いくら相手の体の声に従おうと頭では思っていても、日ごろの自分の不要な決めつけやこだわりがあると、どうしても体が自分の決めつけた方向へと反応してしまいます汗①

だから日々の生活の中でも常に自分の我を手放していく努力を重ねていることが必要になってくるんですよね。

目に見えないとても地味な作業ではありますけれど、セラピストとして当然すべき努力だと思いますし、とてもとても大切なこと。

そしてそうやって我を手放していくことが、結果的に楽に生きることにつながるのだな~ということも実感しています。

 

 

 

最期の時まで心がいつも喜んで、体も楽に毎日を送ることができるのは、人間の共通の願いだと思います。

そのためには、要らないプライドやこだわりや決めつけは、潔く手放してしまいたいものですね。

そのために少しでもお役に立てれば、とても幸せです、