整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

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遊びって大切! ~自らに由る~自由~

2017/12/15

 

リラクセンスや整膚の施術をする時、「皮膚の遊び」という感覚をとても大切にしています。

「皮膚の遊び」

軽く皮膚に触れて、そこから余計な圧を加えることなく水平に皮膚を動かしたときに、皮膚が無理なく動く範囲のこと。

皮膚の「緩み」や「余裕」と言い換えても良いかもしれません。

 

 

体のいろいろな部分に触れて試してみると、皮膚の遊びが多い部分と少ない部分があることに気づきます。

皮膚の遊びが多いところは、皮膚が緩んでいるところ、体の緊張が少ないところと言えますね。

反対に、皮膚の遊びが少ないところは、もしかしたら緊張が強くなってしまっているのかも汗①

もちろん、筋肉の大きさや複雑さなどによっても違いはありますので、皮膚の遊びが少ない(動きが悪い)ということが即、緊張が強いとは言い切れませんが。

それでも、「あれ?ここはもっと皮膚が動いても良いはず?」などと、今の自分の体をよく知るきっかけにはなると思います。

 

 

皮膚の遊びは体の緩み、自由度に比例します。

つい最近、こんな言葉を目にしました。

 

自由とは「自らに由る」こと

 

自由という言葉を聞いてすぐに思い浮かぶのは、「障害なく動ける」とか、「何ものにもとらわれない」とか、「しなやかに飛び回る」とか、柔らかく動く「動」のイメージが多いような気がします。

確かにそれも自由という言葉の一部かもしれませんけれど、その根底に「自分を拠りどころとする」という基礎がなければ、それは本当の自由とは言えないのかもしれません。

そう考えると、体や心が自由でいることと、自分を信じ、自分を拠りどころとすることには、強い相関関係があるのかもしれないですね。

 

 

本当の自由というのは気持ちだけでもダメで、体だけでもダメで、体と心が本当の自分自身に立って、一体化して過ごすことなのかな~

そしてそこには、心も体も柔らかでいられるだけの「遊び」があることが大切。

緊張をほどいて、楽しんでいきましょう♪

 

 

ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいませんか?

2017/12/13

自慢じゃないけど、わたしペーパードライバーです(笑)

12~3年くらい前までは運転していましたけれど、どうにも車とは相性が悪いみたいなので、涙ながらにお別れすることにしたわけです。゚(T^T)゚。

そんなはるか昔、運転していた時代に、こんなことがあったのを思い出しました。

 

 

ある日車に乗り込み、さぁ発信!と思ってアクセルを踏んで車が走り出したのですけれど、、、

あれ?なんだ?重いぞ?

アクセルを踏み込んでいるのに、どうにもスピードが出ないし、踏み込む脚に伝わる感覚が重い!

どうして?と思って、あれこれいじっていた時に、ふと左手がサイドブレーキに触れました。

「!!」

なんとサイドブレーキが半分くらいしか下りていない!

これじゃスピードが出ないわけです。

なんだかなぁ~と思いつつ、ベルトが切れなくて良かった!と胸をなでおろしました(;^_^A

 

 

ブレーキが半分かかった状態では、どんなにがんばってアクセルを踏んでも、推進力にストップをかけてしまうので、スピードが出るはずはありません。

車だと簡単にわかることですよね。

でも、実はわたしたちも普段の生活のなかで、これと同じようなことをやっているかもしれないとしたら・・・?

 

 

「ちょっと肩こりがあるくらい、たいしたことじゃない」

「腰痛?あるけど、それほどひどくないし~」

 

こんな風に、見て見ぬふりを決め込んでいる人って、案外多くありませんか?

コリや痛みがあるということは、どこかに緊張があるということ。

その状態で毎日を過ごしていることは、先のわたしの運転でいえば、ブレーキがかかったままスピードを出そうとがんばっている状態。

中には、その状態でスポーツをやっている人も、結構いますよね?

でもこの状態では、がんばっているのに思ったほどの力が発揮できなかったり、目標とするような成果が出にくいかもしれません。

そればかりか、なかなか思うように行かないために、必要以上にがんばりすぎて、余計な疲れがたまってしまう、なんてことも汗①

 

 

いつもベストの力を発揮できるようにするために、ブレーキはちゃんと外しておきたいですよね。

止まるときはきっちり止まる。

進むときは軽~く気持ち良く進む。

緊張も緩みも自由自在にコントロールできるように、たまりにたまった余計な緊張は、一度しっかりと手放してしまいましょうね!

 

 

 

体が喜んでいる感じ♪

2017/12/11

いつの間に、今年も残すところ3週間となりましたね!

本当にいつの間にか・・・汗

時間が経つのは本当に早い!

やり残しがないように、氣を引き締めていかなくちゃ!

 

 

 

先日、同じ日に施術を受けてくださったお二人が、偶然にも同じ言葉を口にされました。

「体が喜んでいる感じ♪」

 

おひとりは、リラクセンスの施術中に、深部の緊張が抜けて頭から足先までのつながりができた時、その感覚をこの言葉で表してくださいました。

もうおひとりは、ご自分でも気づいていなかったストレスがあったことに整膚の施術後に気づき、それが全てデトックスされたと感じられたご様子で、この言葉を口にされました。

心の憂いも、体の緊張も全て抜けて、心も体も風通りが良くなると、体が喜ぶ感覚になるんですね~♬

こんなに素直な言葉で表現していただけると、わたしの体まで喜んでいる感じがします♡

 

そういえば以前、リラクセンスを受けてくださった方が、「体ぜんぶで笑える」というような表現をしてくださったことがあって、あれもうれしかったなぁ~♪

 

 

 

この数か月の間、基礎をもう一度学び直しています。

基礎の基礎の概念をずっと大切にしてきて、ずっと見つめ続けてきましたけれど、あまりに一生懸命に見つめ過ぎて、基礎の中のほんの一点しか見えていなかったことに気づいたんです。

そして数年経った今、改めて基礎を学び直してみると、これまでできていたと思っていたことが実は十分ではなかったり、ちょっと思い違いをしていた部分もあったことにも気づきました。

「この数年間、一体何をやってきたんだろう?」と、とても情けない気持ちにもなりましたけれど、一方で、

だからと言って何も身に付いていなかったわけではないこと、

こうして学び直している今が新たなスタートラインで、ここからまた少しずつ成長し、また何年か経ったら同じようにスタートに戻ってくるだろうこと、

こんな風に前進→後戻り→前進・・・のループを繰り返しながら、「緩む」を追求し続けていくのだろうこと、などを、これまでの経験とともに確信できました。

一つのことを追い求め続けられることは、とても幸せなことですね。

 

 

ただね、こうして後戻りをして自分が出来ていなかったことに気づくたびに、これまで施術を受けてくださった方々に、とても申し訳ないような気がしてしまいます。

それは成長している証でもあるし、どうしようもないことなのですけれどね、、、

それでも少しでも悔いが少なくて済むように、ベストを尽くせるように、日々の勉強を怠らず!

日々精進します!!

 

 

 

 

そろそろシフトチェンジかな?

2017/12/2

 

1カ月ほど前から、早朝の起き抜けに、右手中指がバネ指がになるようになりました。

しばらくすると治るので、寝ている間の血流不足が原因かな?と、様子見をしていました。

ところが今朝は、いつもよりちょっとひどい感じがして、年齢に伴って少しずつ体が今までと違ってきたことを痛感しました。

 

ちなみにバネ指は、その部分を少し整膚をしていると良くなるのですけれど、

これを指だけの症状ではなく腕全体の症状とととらえ、肩のあたりから腕全体の皮膚をゆるませていくと、指だけ整膚しているよりも早くスッキリとすることが分かりました。

バネ指でお困りの皆さん、試してみてくださいね!

 

 

話を元に戻しますね。

 

今朝、頭はまだまどろんだ状態ではありましたけれど、いつもと違うバネ指の症状に、「これはもっと広い視野で体に向き合わないといけないな」と本能的に感じ、何となく滞りを感じた腰をゆらゆらと緩めていました。

するとほどなく、腕全体に風が通り抜けるような何とも言えず気持ちよい感覚を覚え、指を動かしてみると、バネ指特有の引っ掛かりはすっかりと抜けていました。

やっぱり体丸ごと、一つのユニットとして考えるのが理にかなっているようです。

 

 

これまでも少しずつ感じていた、若い頃との体の違い。

今朝のバネ指の変化をきっかけに、体をゆらゆらし続けながら、いつの間にか自分の老いや、今後の生き方について想いを巡らせていました。

 

今思えば、今までずいぶん抗って生きてきたな

「がんばる」という言葉のもとに、絶対に認めたくないことを見ないようにして、自分に無理を強いてきたことも多かったな、と。

多分そうしなければいられなかったのだろうし、そのおかげでたくさんの智恵もついて、以前より格段に楽に過ごせるようになったことは確かで、

そうやって生きてきたこと全てを悔いる気持ちはないけれど、

もしかしたら、中にはもう必要ない智恵もあるかもしれない、それらは今ここできっぱりと棄てても良いのかもしれない、

そんな想いが浮かんできました。

 

 

これからの半生は、もっと自分らしく自然体で楽しく生きていきたいな。

 

無理するでもなく

抗うでもなく

諦めるでもなく

自分の中の弱い部分も引き受けて

自分の中に未熟な自分がいることも受け容れて

自分の中の未知なる自分にワクワクして

愛をもって自分の全てを慈しみ向き合っていこう

そして、この世界の全てを愛していこう

いつも、いつまでも、しなやかで自分らしくゆるりといたいから

 

 

年齢を重ねるとともに誰にでもいつかは訪れる、思考や志向のシフトチェンジ。

わたしにとっては、今がその時なのかもしれません♪

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

明日3日の22時より30分間、遠隔氣療を行います。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

「貪欲に酸素を欲したくなる」

2017/11/30

今日で11月も終わり、明日から12月。

あとひと月で今年も終わりだなんて、信じられない!

使い古された言葉だけど、年々時間が経つのが早く感じるようになりますね~汗

その理由は諸説あるようですけれど、わたしがすごく納得した説は、、、

例えば10歳の子どもにとっての1年は10分の1だけど、50歳にとっての1年は50分の1、

長く生きていればその分だけ、一定の時間が人生全体で占める割合が違うから、というもの。

 

また、新鮮な体験が、感じる時間の長さを決定づけるという説もあるようですね。

新しい体験や新鮮な驚きに満ちた毎日を過ごしていると、時間はゆったりと流れているように感じるとか。

だから何もかもが新しい経験に満ちた子どもの毎日は、時間が長く感じられるけれど、既に様々な体験を重ねた大人にとっては、子どもの頃のような新鮮な体験は少なくなってくる。

それが、大人になると時間が過ぎるのが早く感じられる理由だというのですね。

 

ということは、わたしたちも意識して新しい場所に身を置いてみるとか、新しい習い事や学びなどに挑戦してみるなどして、「わぁ!こんな世界があったのね!」というような発見に満ちた毎日を送っていると、きっと子どものころのような「一日たっぷり使ったぞ!」というような感覚を味わえるはずですね♪

確かに旅行に趣味に仕事にと、様々なことを楽しんで暮らしていらっしゃる方は、「いつ寝てるの?」ってくらいに、同じ24時間とは思えないくらい、たくさんのことをこなしていらっしゃいますよね。

そして、そういう方々は例外なく、皆とてもお若い!!

せっかくそういう素敵な見本が近くにいてくださることだし、来年の目標、それにしてみようかしら?(笑)

 

 

少し前のことになりますけれど、初めてリラクセンスを受けてくださった方が、ご自身のFBにこんな詩的なご感想を投稿をしてくださっていました。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

リラックスデー
逗子のあんこ屋さんで整膚とリラクセンス
肌を静かに揺らして身体の歪みをとるのだけれど
肌は一枚の風船だということがよくわかるメソッド
歪みがとれると貪欲に酸素を欲したくなる
まるで生まれてくる赤ちゃんの産声のように?
その狂おしさが今日の気付きだ

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

ご自身の感覚を、何とも文学的に表現してくださって・・・!!

Tさん、素敵なご感想をありがとうございます♡

 

 

「肌は一枚皮の風船」というのは、リラクセンスの学びの中でもよく使われる表現です。

普段意識することはとても少ないけれど、肌は1枚だけ。

その1枚で全身が覆われているんですね。

だから、体のどこかほんの一部だけが緊張していても、皮膚は引っ張られて全体に影響が出てしまうんです。

きっとそのことを頭の理解だけではなく、体全体で体感してくださったのでしょう。

 

 

赤ちゃんの頃のくつろいだ感覚を取り戻すきっかけとなるセッション

それがリラクセンスです。

 

泣きたい時は全身を使って思い切り泣いて

笑う時も全身を使って思い切り笑って

眠るときには全身の力全てを抜いて深く眠る

 

わたしたちだれもが、かつてはそんな風に自分の『ゆるみの幅』を目いっぱい使えていたはず。

元々はそうであったのだから、その感覚を思い出し取り戻すことは必ずできるはずですよね。

体まるごとで生きる解放感と気持ち良さをわたしももっと味わい続けていきたいし、皆さまにも知っていただき体感していただくためにも、伝え続けたいと思います。

 

 

別れの辛さはきずなの深さ

2017/11/29

今日、お客さまの訃報が届きました。

去年の夏にいらしてくださったときには既にご病気で、それでも「絶対に回復する!」と、ご自分でできるケアをと考えて、整膚を見つけ、施術とセルフケアのレッスンを受けてくださいました。

それからは、ときどきお手紙を書かせていただいていましたが、病状は上り下りがあったようでした。

それでも時折りくださるメールからは、ひたすら前向きに生きていらっしゃるご様子が伝わってきていました。

 

この1カ月くらいの間、何故かその方のことがとても気になっていて、少し前にお手紙を書いたのですけれど、おそらく亡くなられたすぐ後くらいのタイミングだったのだな、ということが分かりました。

 

 

この仕事を始めた1年目で、やはり同じような状態で整膚を求めてきてくださった方がいらっしゃいました。

その方はそれから1年も経たないうちに旅立たれたのですが、その時に漠然と、最期のひとときを楽に過ごしていただくためにできることとは?という命題を与えられたとような感覚がありました。

それからも何人かの方をお見送りしてきて、その度に思うのは、「わたしは一体何が出来たのだろう?」「もっと何かできたのではないだろうか?」ということばかり。

そしてその度に気づくのです。

結局何も出来はしないのだと。

だからせめて、ここにいらしていただくときだけでも、楽になっていただきたい。

それしかできることはないんですよね。

 

 

こんなふうに書いていると、辛いばかりのように思われてしまいそうですけれど、そうじゃないんです。

確かに別れは辛く悲しいことだけど、普通であれば出会うことのなかった方と出会わせていただけたこと、

一瞬と言っても良いような短い時間ではあったかもしれないけれど、わたしの中では確かにその方は一生懸命生きていて、自分の命と正面から向き合っていらっしゃったその凛とした姿は、何年も経った今でもはっきりと覚えていて、

最期のほんの短いひと時、素晴らしい生きざまを見せてくださったことが、ありがたくて、ありがたくて、わたしの中で明るく光り輝いています。

 

 

その人の存在が大切であればあるほど、別れは辛く悲しいものですね。

でも、別れの辛さの深さや大きさは、その人とのきずながそれだけ深かった、その人への愛がそれだけ深かったということ。

辛い別れが多ければ多いほど、豊かな人生だということですよね。

だから、どんなに辛い別れでも感謝とともに受け容れることができるようになりました。

「ありがとう。もう少ししたらわたしも行くから、それまで待っててね」

素直にそう言えるようになりました。

もちろん寂しいし悲しいことではありますけれど、それも時が癒してくれるはず。

それもまた、ありがたいことですね。

 

 

わたしができることは本当にわずかだけど、そのわずかなことを精一杯やっていこうと思います。

そして、これからもっともっとあるであろう辛い別れも、感謝して受け容れていこうと思います。

 

 

最後に、

Yさま、わたしと出会ってくださってありがとうございました。

ご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

完全復活!ありがとうございます♪

2017/11/26

このブログでも2回ほど報告させていただきましたが、先月の終わりに2階から階段を転落したあんこ。

2週間くらいたったころから、ほぼいつもの動きに戻ってきていたのですけれど、わたしの中で完全復活と言えない理由がありました。

それは、ウ〇チの回数が少なかったこと。

転落するまではほぼ毎日のように排便していたのですけれど、転落してからは5日間くらい出ないこともザラで・・・汗①

体力があるときは当たり前のように行っている踏ん張るという行為。

背骨や骨盤、後ろ脚を痛めている体には、おそらくとても負担のかかる動作だったのだと思います。

踏ん張っているうちに、コロンと転がってしまうことも何回かあったくらいですから汗

 

そんなあんこでしたけれど、昨日今日としっかり良いウ〇チをしてくれました♬

そして気づけば、おそらくここ10日ほどは、ふとした時に骨盤や脚がキュッと緊張することもなくなっていました。

もう完全復活と言ってよさそうです!

たくさんの方々がご心配くださって、我がことのように温かく応援してくださった、そのお気持ちが大きなパワーになって、このようなうれしい結果に結びついたのだと、しみじみと実感します。

本当にありがとうございました!

心より感謝申し上げますハート

 

 

たくさんの方が、「茂美さんだからできたこと。本当にすごい!」と言ってくださいました。

でもわたしはただ、生きているものがもともと備え持っている『自然治癒力』の存在を、人より少し強く信じられていただけ。

そして、その治癒力を引き出す方法を知っていただけに過ぎません。

 

そう考えたとき、

 

整膚という手技を確立して下さった俆堅先生や、それをわたしに伝えてくださったI先生、

そしてリラクセンスの手技と概念を確立し、伝えてくださった熊倉先生ご夫妻に、言い尽くせぬ感謝の気持ちが湧いてきました。

「本当に良いものを!」という想いで新しいものを生み出してくださった先達の働きがなかったら、こうして今あんこが元気に動き回る姿を見ることは叶わなかったかもしれません。

感謝の言葉以外に浮かびません。

 

 

素晴らしい技術を伝えていただいて、こうしてわたし自身がいただいた喜びを、もっと皆さんにお伝えしていかないといけないですね。

思うところがあって開催していなかったお茶会ですが、これを機に復活することも考えていこうと思います。

 

 

『提案』によって生まれるもの

2017/11/24

数日前に、先週に引き続き、リラクセンスの講習に参加してきました。

今回は、リラクセンスの施術を下支えする、大切な「概念」についての勉強です。

 

一般的な施術で大切なのは理論と技術ですけれど、リラクセンスを構成する大切な要素はもう一つあり、それが「概念」です。

この概念をしっかりと理解し、腹に落とし込んでいないと、どんなに理論を理解して、素晴らしい技術を身につけていても、リラクセンスの手技にはなり得ない。

そのくらい大切な要素です。

 

 

リラクセンスが一般的な施術と違う大きな特長は、

①強い力を使わなくてもゆるめられる
②施術をする側も受ける側も、ともにゆるむことができる
③問題解決の答えを相手の体に聞くことができる

この3点です。

そして、このようなことを可能にするために必要なのが「概念」というわけです。

 

 

リラクセンスの概念は、この3つの言葉に集約されます。

在り方 反応 循環

 

どのような在り方で触れるかによって、相手の反応が変わる

相手の反応に対して自分がどんな反応をするかによって、再び自分の在り方がつくられる

そしてその在り方から、また相手からの反応が返ってくる

この循環が繰り返されることで、新たな可能性を生み出すことができる

 

 

きっと皆さまも気づかれたと思いますけれど、このことはリラクセンスの施術に限ったことではなく、この世の中を構成する人間関係、社会の仕組み、神羅万象すべてに共通する真理です。

自分勝手な想いで相手に接すれば、相手は不快に感じるかもしれません。

「今はどんな気分なんだろう?」
「どうしてほしいと思っているんだろう?」

そんな風に相手を思いやって接すれば、きっと相手も気持ち良く反応を返してくれるはずですね。

体も同じです。

 

 

リラクセンスの施術では、『提案』ということをとても大事にします。

セラピストが「こうあるべき」とか「この方が良いはず」との、セラピストサイドの勝手な思いから触れると、それは提案ではなく、『命令』や『誘導』になってしまいます。

『命令』『誘導』『提案』

勉強会では、これらの言葉の違いは一体どこにあるのか、参加したそれぞれが考え、それをシェアし合うことによって、言葉の概念を落とし込みました。

10人いれば10通りの言葉のとらえ方があり、どれが正しいとか間違っているということもありません。

人はみな違うから、感じ方や捉え方も違うんですね。

こうして言葉で違いを表現し、みんなの意見を聞くことで、漠然としていたそれぞれの違いが明確になり、それによって「提案と言いながら、実は誘導や命令をしていた」ということのないように、しっかりと腑に落とすきっかけにしていかなくちゃ!

 

 

そうやって言葉で明確にしたそれぞれの違い。

今度は実際に『誘導』されたときと『提案』された時とで、触れられた時にどのような違いがあるのかを体感し合いました。

(『命令』は明らかに違うと分かりますけれど、『誘導』と『提案』の違いは、もっと微妙ですから)

『提案』として腕を引かれたときには、気持ちよく着いて行けるようなような安心感と心地よさがあるのですけれど、

反対に、どんなに柔らかく触れられても、ゆっくりと優しく動かされても、『誘導』されたときには、明らかに既に目的地が決まっていて、そこに引っ張って行かれるような感覚があるんですね。

触れる側のほんのわずかな気持ちの違い、『在り方』の違いが、これほど如実に違いとなって感じられることに、今さらながら驚くばかりでした。

 

 

人間の無意識のセンサーは本当に精密で、(顕在)意識ではそれとわからない場合にも、無意識ではしっかりと、自分の「嫌!」を感じ、反応として表しているんですね。

つまり、自分の無意識が求めることと(顕在)意識が求めることが一致していないと、それが葛藤となってしまうし、その葛藤が時として病気や痛みや不快感として体に表れてしまう。

だからこそ、無意識の自分が何を求めているのかを知り、心身ともに自分に寄り添い楽にしてあげることはとても大切です。

 

一人ひとり個性も人格も違う。

自分と相手は違う。

その違いを認め合い、お互いに『提案』し合いながら尊重し合って、成長し合えたらとても素敵ですね♡

 

 

きっかけ

2017/11/21

急に真冬のような寒さになってきましたね雪の結晶

我が家でも先週末から石油ストーブがお目見えです石油ストーブ

火の温かさはエアコンの温かさとは一味違いますね!

 

 

わたしの行なっているセッションは一言で説明するのが難しくて、それでも言葉を尽くしてなんとかして伝えようとしているうちに、そう考えているわけではないのに、難しいことをしているような表現になってしまったり、気づくとわたし自身がそんな感覚になってしまっていることがよくあります。

どうにかしてゆるめよう!ではなく、「体が勝手にゆるんでいく」ような感覚は、おそらくほとんどの方が体感したことがないので、いくら言葉で説明しても十分に伝わるはずがありません。

それを言葉で何とかしようとするから、どんどん表現がややこしくなってしまって、結果なんだか小難しいことになってしまう汗

本末転倒ですね(笑)

理解していただくためには、結局は実際に体感していただくしかないのですね~!

 

 

先日セッションを受けてくださった方が、セッション開始から10分経つか経たないかのうちに、「不思議~、体が勝手にゆるんでいく~」とおっしゃっていました。

そう、体はもともとゆるんでいるものなんだから、それを思い出したら勝手にゆるんでいくだけ。

この言葉をお聞きして、そうそう、難しいことは何もないんだよな、と、改めて気づかされました。

 

 

「すごく息をするのが楽!」

「体がぺしゃんこになったみたいな感覚です」

 

こんな体感があるのも、緊張がほどけた証拠です。

そう、こんなふうに「うわ、楽~!」と感じてくださることが全てです。

とてもシンプルなこと。

そして、それがとても嬉しく、ありがたいなと思います。

 

 

わたしの行なっているセッションは、誰もが生まれながらに持っていたはずの「楽」な感覚を取り戻していただくための『きっかけ』です。

受けていただいた後も、体はどんどん「楽」へと変化し続けます。

そして体が楽になるにつれ、今まで気づかなかったご自身の可能性にも気づきます。

そんな気づきや変化も楽しんでいただけると嬉しいです♪

 

 

全体と部分のズレ~自分の在り方が全て

2017/11/17

 

昨日は午前中に、リラクセンスの基礎講座を再受講してきました。

本当は午前中から夕方までの一日を通しての講座ですが、どうしても参加しなければ!という強い確信があって、先生にご無理をお願いして、午前中だけ参加させていただきました。

やっぱり参加させていただいてよかった!

自分では分かっている、腑に落とせていると思っていたことが、まだ十分な体での理解に達していなかったことが分かりました。

 

 

ものごとには全体(マクロ)と部分(ミクロ)がありますけれど、わたしはマクロを何度も繰り返し頭と体に叩き込んだことで、ミクロも当然理解しているはずだと、改めて考えることもなく思いこんでいたようです。

ですが昨日気づいたことは、マクロ(体)と、そのパーツの一つであり大切な構成要素であるミクロ(筋肉)とに対する理解が一致していなかったこと。

自分の中ではありえない感じだったので、なんでだろう?と考えていて思い至ったのは、

わたしの中で、心の在り方や生き方・人生という全体と、それに不可欠な体という実体の間に、二つを隔てる壁のような概念が存在していたのかもしれない、ということでした。

 

そういえば以前、友人が、「体なんて要らない!とずっと思っていたから、心と体が一致していない」というようなことを話してくれたことがありました。

その時は彼女のこととして聞いていたけれど、わたしも同じだったのだな、と。

でもそれが分かったからと言ってショックということもなく、むしろそう考えれば何故か今までのいろいろなことが全て、納得できるような気がしました。

 

 

この気づきからわたし自身にどのような反応や変化が訪れるのだろう?

受けてくださる方にどのような反応が表れるのだろう?

そう思いながら、午後の仕事に臨んだところ、セッション後に、「いつもとは違うやり方だった?」との言葉。

受けているときも施術後の感覚も、いつもとは全く違うとのことでした。

一晩明けた今朝の感覚も、いつもとはいろいろ違っていると。

目に見えない、言葉でも説明できないようなほんのわずかな差。

わたしの在り方のわずかな違い一つで、相手の体の反応が全く違ってくるということ、改めて学ぶことができました。

 

 

自分の在り方が相手の反応を引き出している。

それは、どうごまかそうとしてもごまかしきることはできず、無意識の相手の反応として表れてしまうのです。

そしてそれは、人と人とが関係し合うどんな場面にも当てはまる、永遠の真理です。

過去どうだった、ではない。

今の自分の在り方が全て。

全ては自分次第。

 

自分らしい幸せを手にするため、いつも楽しく生きるためにとても大切なこと。

セッションを通して伝え続けていきたいと、改めて決意を新たにしました。