整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

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他人はすごい人に見えるのね

2017/9/18

 

昨晩から今日にかけての台風、皆さまの地方は大丈夫でしたか?

被害が出た地域もあったようですね汗

どうか一日も早く普段の生活に戻られますように!

 

 

敬老の日の今日は、高校時代の友人たちと数カ月ぶりの女子会へ。

久しぶりに会ってもすぐに打ち解けられるのは、昔からの友人関係だからこそでしょうか?

一緒に過ごす時間はとてもリラックスして、たくさんしゃべってたくさん笑いました(#^.^#)

 

話していて分かったのですけれど、主婦だったり会社員だったりする友人たちからしてみると、自営という形で働いているわたしは、「本当にすごいよね~!」と感じるらしいです。

でもわたしから見れば、ずっと一つの職場で経験を積み重ねていたり、家族のために育児や家事を全うしている彼女たちの方が、ずっとずっとすごいと感じています。

ほとんどの女性が当たり前のように結婚して、当たり前のように子どもを生んで育てて、ということをこなしていて、

そりゃ時には放り出したくなることもあるでしょうし、現実逃避をしたくなることもあると思いますけれど、

それでも結局は投げ出すことなく、人ひとりを(あるいは二人とか三人とか)立派に育てあげている姿というのは、その経験のないわたしからして見れば、この上なくすごいこと!

母親業を経験している人にはどうやっても敵わない。

それなのに彼女たちからすると、わたしの方がすごいことをしているように見えるなんて。

なんで?信じられない!(゚o゚〃)

でもきっと人って、自分が経験していないことをしている人を見ると、すごい!って思うものなのですね。

そして他人からどんなに「すごい!」と思われていても、本人にしてみれば、ただ自分の前にあることを当たり前のこととして、淡々と続けてきているだけなのかもしれませんね。

 

他人のことがすごい人に見えて、それに引き換え自分は・・・と思えてしまう時、もしかしたらその人も同じように、あなたのことを「すごいなぁ!」と思っているのかもしれません。

本人はただ淡々と何のドラマもない日々を当たり前のように過ごしているだけ・・・と思っているかもしれませんけれど、

どんな経験であれ、その経験はその人だけのもの。

どんなに似たような経験をしていても、全く同じ経験をしている人は一人としていないはず。

人から「すごいなぁ」と思われるようなことって、そのただ淡々と当たり前に積み重ねている日々の中にあるのですね。

 

他人もすごいけど自分もすごい!みんなすごい!んですよね。

 

 

役に立つってこういうことだと思う

2017/9/15

今日の夕方は出張整膚。

先日お父さまを看取られた方、気が張っていたのがゆるんでしまったのか、体調を崩されたようでした。

ポツリポツリお話ししながらゆっくり体をゆるめていただいて、心も体も流れが良くなられたようで、お顔も明るくなられました。

 

施術後に今の心境をお話ししてくださったのですけれど、その中でこんなことをおっしゃっていました。

「父があと少しと分かってから、『父がいなくなったたらわたしどうするんだろう?これから仕事をすると言っても、これまで何もやっていなくて、今さら何もできないし、何の役にも立たないんだなぁ』って思っちゃったんだよね」

この気持ち、わたしもとてもよく分かったし、同じように感じられたことがある人も少なくないんじゃないかな?って思います。

 

わたし自身のことを言えば、結婚もしていないし子どももいない。

時々、「わたしって誰の役に立っているんだろう?」と思うことがありました。

大きな仕事をしている人を見ては、たくさんの人たちの役に立って、たくさんの人たちに喜ばれている人の姿を見ては、とてもうらやましく思い、「それに引き換えわたしは・・・」などと思ったものです。

でも、人の役に立つということは、そういう目に見えて分かりやすいことばかりではないんだと心底納得できるようになったのは、ここ数年のことでしょうか。

 

例えば、どんな人でも買い物はしますよね?

大きなスーパーであれ、個人経営の店舗であれ、品物と引き換えに代金を支払いますね。

その代金の行方を考えられたことはありますか?

それは店舗の経営を続けていくために使われたり、従業員やその家族の生活を支えるためのお給料の一部となっていくわけです。

買い物をするというごくごく日常的な行為でも、その店に関わる人たちの命を支える役に立っているんですね。

 

また時には、とてもお気に入りの飲食店があって、食事の代金を支払うだけでなく、「美味しかったよ、ありがとう」と、お礼まで言うことはありませんか?

その言葉は、お店の人にとってみれば、ある意味ではお金よりもうれしいことだったりします。

「ありがとう」と言われることは、その人の仕事を認め喜んでいただけたという証、その仕事を続けていくうえでの大きなエネルギーになるのですから。

 

またまたわたしの話になってしまいますが、料金が発生する仕事の場面だけでなく、ボランティアで訪れる施設の方々からも、たくさんの幸せをいただきます。

施術させていただいた方が涙を流さんばかりに喜んでくださって(中には本当に泣かれる方もいらっしゃいます)、「ありがとう、ありがとう」と何度も言ってくださることがよくあります。

その方にしてみれば、わたしが一方的に与えてくれる(と思っていらっしゃる)ことへのお礼だと思うのですけれど、わたしから見れば、そうやって喜んでいただくことは、わたし一人では決して叶わないこと。

だってその方がいてくださるからこそ、喜んでいただく喜びや幸せを感じることができるのですから。

その方はただそこにいてくださるだけ、ほんのひと時わたしと関わってくださっただけ、ただそれだけでこれほどまでにわたしを幸せな気持ちにしてくださるんです。

どうして役に立っていないなんて言えるでしょうか?

 

人は生きているだけで誰かの役に立っている

この言葉は決してきれいごとではありません。

どんなに「自分は一人ぼっちだ」と思っても、誰かの支えなしには生きていられないのと同じように、誰かの役に立たずに生きられる人など、一人もいないのだと思います。

ただ、心がギュッとしてしまっているとそれに気づくことができないだけ。

そんな時は息をゆっくり吐いて胸を柔らかくして、目の前の人、そして目に見えない誰かを自分が支えている、ということに気づいてくださいね。

 

 

ハグは好き?

2017/9/11

 

最近、周囲を見回してみると、ハグする人が多くなったなぁと思います。

わたしの周囲にも、例えば立ち話をした後のお別れの時などに、必ずハグをしてくれる友人が何人かいます。

昔の日本でも、母親が子どもを抱きしめる以外にも、友だちが泣いているときに思わず抱きしめるなど、近しい関係で言葉では伝えられない想いを伝える時などには、(もちろん当時はハグという言葉ではありませんでしたけれど)ハグをすることはあったと思います。

でも、一般に言われるハグという言葉が表現しているのって、もっとラフでカジュアルな感覚のような気がします。

 

わたしが最初に、ハグされたのが一体いつのことだったのか、はっきりと覚えてはいませんけれど、そんなに昔のことではなかったと思います。

たぶん、この仕事を始めてから、おそらく6~8年前くらいかな?

友人からハグされて、正直どう対処したらいいのか全く分かりませんでした(笑)

「えっ?こういう時って、腕をどうしたら良いんだろう?」
「ギュッと抱きしめるんじゃないよね?きっと」

そんないろんなことがいっぺんに頭に浮かんできて、グルグルグルグル(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)

こそばゆいような感覚もして、きっと、とてもぎこちなかっただろうな~と後から思いました(笑)

でも、そんな風に戸惑う半面、無条件に受け入れてもらえたような、何とも言えない平和な気持ちになったことも覚えています。

 

肌で感じる距離感って、本当に人それぞれだなと思います。

先ほどのハグの話でいえば、「だれでもハグしたい!ハグされたい!」と思う人もいれば、「いや、ハグはちょっと・・・」と感じる人もいますよね。

特に日本人は後者が多いかも?(若い人たちはちょっと違うかもですけど)

例えばマッサージなどを受ける時も、「知っている人じゃなきゃ絶対にイヤ!知らない人に体に触られるなんて信じられない!」という人もいれば、「全く知らない人の方が良い」という人もいらして、とても興味深いです。

そうそう、最近わたしが感じたことでいえば、スポーツクラブの体験に行ったとき、一生けんめい説明してくれる人の存在が「何だかとっても煩わしいな」と感じてしまって、どんどん居心地が悪くなってきちゃったんです。(ごめんなさい💦)

「でもなんでだろう?」と考えたときに気づいたのが、相手が近すぎたということ。

わたしのパーソナル・スペースは、彼女のものよりも広かったんですよね。

気づいたときに、そっと椅子を引いて彼女との距離を少し空けたら、落ち着きました(笑)

人との距離感や、体に触れる・触れられる感覚というのは、本当に千差万別、100人いれば100通りの感じ方があるのだなぁ、と実感します。

 

皮膚は第3の脳と言われるくらい、様々な感覚器官が備わっていて、それ自体が独立して働いている器官もあるくらい、とても繊細で大切な働きをしているんですね。

脳の構造が人それぞれ違うように、皮膚で感じる感覚も、人それぞれ全く違うはず。

だから、皮膚感覚で「何となく」感じることは、とりあえず信じた方が良い場合が多いなと感じます。

そして肌だけでなく、自分の体の感覚が示す根拠のない、何となくのサインは、体=自分からのメッセージ。

どうぞ無視しないで、「そのサインの意味は何?」と体に尋ね、体の意思=自分の本音を大切に扱ってあげてくださいね。

 

 

あ、そうそう、「ハグは好き?」のわたしの答えは、、、

嫌いじゃないけど、「大好き!」というにはまだ照れがあって(笑)、そしてちょっとぎこちないのは相変わらずです、きっと、、、(・・。)ゞ

 

 

コミュニケーション上手になりたい

2017/9/10

 

わたしの友人の中に、とっても明るくケタケタと笑う人がいて、友人も多く、その人の周囲には笑い声が絶えません。

よく言われる太陽のような人、向日葵のような人。

昔から人付き合いが苦手だったわたしにとっては、子どもの頃も学生時代も、大人になってからも、いつもそういうタイプの人への憧れがありました。

(今はそう話しても、「うそでしょ?」と言われるようになりましたけど)

 

どうしたらあんなふうに、たくさんの人が周りに集まってくるような明るい人になれるんだろう?

どうしたらあんなふうに、周りの人まで幸せになるような朗らかな笑い方ができるんだろう?

 

いつもそんな風に思っていました。

 

自分だって人が嫌いなわけじゃない。

ただ、どうやって距離を保ったらいいのか?どうやってうまく甘えたらいいのか?そういうことが分からないだけ。

そんな自分をどうにかしたくて、いろいろな本を読み漁ったり、NLP(神経言語プログラミング・「脳の取扱説明書」とも言われる心理学)を学んだりしてきたわけです。

そして分かったのが、他人との関係云々の前に、「自分にウソをつかない、自分としっかりコミュニケーションをとることが一番」ということでした。

 

 

わたしと同じように、あるいはわたしよりもコミュニケーションに難しさを感じている方もいらっしゃるのではないかな、と思います。

そういう方はきっと、これまでの人生で、自分以外の人の気持ちを優先したり、周囲の状況を優先する癖がついているのだと思うんですね。

それは生まれながらの性格もあるとは思いますけれど、それ以上に育ってきた環境や、親や親せきなど周りの人の影響はとても大きかったのではないかと想像します。

常に周囲に気を配らなければいけない環境、それを強いられる環境の中にずっといたら、自分の感情を殺すことが当たり前になってしまう。

そして当たり前すぎるから、それがどんなに辛いことなのかも感じなくなってしまう。

それが後々、コミュニケーションが難しく感じたり、人との距離に違和感を感じる大きな要因になってしまうんですね

 

 

まずは自分自身とのコミュニケーションを大切にしましょう。

コミュニケーションにとって大切な要素は、相手を尊重すること。

ここで言う相手は自分自身。

 

今、自分は何を感じているんだろう?

自分の好きなことは何だろう?

自分は何がしたいんだろう?

 

自分自身の想いを100%尊重して、丁寧に自分の本当の声を聴いてあげましょう。

で、その時に、ちょっとだけ意識して注意していただきたいことがあるんです。

 

 

長い間自分の心から目をそらせてきたり、自分の気持ちより他人や周囲のことを優先して生きてきた人は、かなり言い訳上手になっているはずなんです。

それは自分自身に対してでさえ起こることで、かすかに聞こえてきた本心をも、巧みな言い訳をして、自分自身でそれと気づく前に見えないところに押しやってしまうんですね。

そして当たり障りのない答えを出して、自分を納得させてしまいます。

それはそれは巧みな言い訳なので、自分自身でも言い訳をしていることすら全く気づかないほどです。

そんなことを重ねていると、「こんなにがんばっているのに、どうして何も変わらないの?やっぱりわたしはダメなんだ・・・」という、とても悲しいサイクルを繰り返すことになってしまいます(T_T)

 

「そんなことあるわけないじゃん!ウソばっかり言って!」と思われるかもしれませんけれど、これは長い間わたし自身が何度も繰り返してきた経験の中で、後から振り返って気づいて愕然としたことなんです(;^_^A

なのでね、「本当に本当?ウソついてない?」「それは心底本当の気持ちなの?」と、何度も何度も自分に問いかけてあげてくださいね。

最初は本当の自分と向き合うことが怖かったり、難しいと思うこともあるかもしれません。

特に自分で認めたくない自分が顔を出すと、「そんなはずない!」と打ち消したくなることもあるかもしれません。

それでも諦めずに、何度でも丁寧に向き合ってあげることで、少しずつ自分自身が本心をさらけ出すことを許せるように必ずなりますから。

そして、そうやって自分自身を100%尊重し、自分にウソをつかず、自分とのコミュニケーションがきちんと取れてくると、知らず知らずのうちに人とのコミュニケーションも楽になってくるはずです。

全ては自分との向き合い方から始まるのです。

 

 

自分にウソをつかず向き合えるようになると、胸のつかえがとれて心から、体の奥から笑えるようになってきます。

そして心の底から笑えると、その屈託のなさに周囲の人は幸せな気分になって、無理をしなくても自然と周囲に人は集まってくるのです。

その第一歩として、まずは一番身近で、一番大切な「自分」とのコミュニケーションを楽しむことから始めましょう♪

 

 

おまけですが、、、

これ↓は先日、おしゃべりしながら撮っていただいた写真です。

「わたしって、こんな風に笑うんだな・・・」というのが最初に思ったこと。

それでね、「この笑顔、好きだなぁ~」って。。。

ちょっと照れますけど(///∇//)

 

 

 

 

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本日10日の22時より30分間、遠隔氣療を行ないます。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

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細胞が経験を記憶する

2017/9/8

 

このところ、心と体の関係について書かれた本を読んでいて、いま読んでいるのは『内臓が生み出す心』(西原克成著)という本。

著者は人工臓器の開発で世界的に著名な名医。

この本の中で、心肺移植の手術を受けたクレアという女性が、臓器移植後間もなく、ドナーであるバイク事故死した若者の臓器が、「それ自体(若者の)意識を伴って自分の中にある」という感覚を覚えるようになったことが、『記憶する心臓』という本を引用して書かれています。

そして、このクレアという女性以外にも、移植手術後に食べ物の好みが全く変わってしまったり、性格が変わってしまったなど、同じような体験をしている例が挙げられています。

そして、『細胞記憶』の理論で有名なディーパック・チョプラ博士の、このような言葉を引用しています。

 

*~*~*~*~*~*~*~*~

そうした事象に対して超自然的解釈を試みるよりは、われわれの体には経験が物理的表現をもって刻まれていくことの証と考える方が妥当だろう。経験というものは、われわれが自分の内に取り込むものであることから、細胞には記憶がしみこんでいる。したがって、他人の細胞を体内に取りこめば、同時に記憶までをも取りこむことになるのだ。

*~*~*~*~*~*~*~*~

 

この記述を読んで、「本当にそうだよね!」と感じる人もいれば、「いったい何を言ってるの?」と思う方もいると思います。

わたしは前者で、理屈でどうこうというのではなく、体のどこかで「そうそう!そうなんだよね!」と言っている感じがしています。

でも、こう感じるようになったのはいつからなのだろう?と考えると、この仕事を始めた当初は、ここまでリアルにそれを感じていたわけではないように思います。

おそらく、複数の方に整膚をやらせていただくようになってから1~2年くらい、ある程度の人数を施術させていただいてからではなかったかな?と思い起こされるんですね。

 

整膚を行なっているときに起こる反応は、それまで勉強していた範囲を超えて、想像以上に様々なものでした。

体の反応だけに意識が向いている人もいらっしゃれば、メンタルの変化を強く感じる方もいらっしゃいます。

ほんの数日~数週間前の打撲やケガのことにしか意識が向かない方もいらっしゃれば、

10年以上も前のケガや病気など、忘れていた過去の物理的な痛みや苦しみを思い出されたり、子どもの頃に受けた心の傷やその時の痛みを思い出される方もいらっしゃいました。

そんなたくさんの方々の様々な反応に触れるうちに、無意識のうちに、「物理的なことはもちろんだけど、精神的な苦痛も記憶として体に残るのだ」ということが、わたしにとっては当たり前の事実として存在するようになっていたようです。

そんな、いつの間にか身に付いていたこの感覚が、今回この本に触れることで、はっきりと自覚できました。

 

この「細胞は経験を記憶する」ということは、わたし自身も身に覚えがあることなのですが、それについては後日お伝えしたいと思います。

 

 

 

「老い」のない生き方

2017/8/31

 

水曜日の夜NHKで放送している「ドクターG」という番組が好きでよく見ています。

ドクターGとは総合診療医のこと。

現役の総合診療医が実際に扱った症例に、各地から応募した研修医が臨み、カンファレンス形式で病名を探るという番組です。

昨日の放送の最後でドクターGが、「『老化』という病気はない。老化のせいにする医師がいたら信用しない方が良い」と言われた言葉が痛快でした。

わたしも常々感じていたことですが、現役バリバリのお医者さまが公共放送でズバリと言ってくださったこと、よくぞ言ってくださった!という感じです。

 

そんなことを覚えていたわけではありませんが、先日ブログでご紹介したこの本を読んでいて、、、

 

 

『「今、ここ」に意識を集中する練習』
心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門

 

何ともタイミングよく?という感じで目に飛び込んできた文章がありました。

それは『「老い」の表れに目を向ける』という章の中のこんな文章。

ちょっと長くなりますけれど、引用させていただきますね。

 

*~*~*~*~*~*~*~*~

老いることの感覚というのは、比較によって生じるのです。比較しなければ、単なる知覚に過ぎず、そこに老いの特性はありません。たとえば、私の嗅覚は以前ほど敏感ではなくなったのですが、それは若い頃、もっと匂いを敏感に感じていたことを思い出すからであって、その記憶と比較して喪失感が生じているにすぎません。
わたしたちは自分自身のこと以外では、生命の変化のプロセスをもっと肯定的に見ることができます。トマトの種を手にすると心がはずみ、緑の若芽を見るとわくわくし、赤くみずみずしい実がなればそれを食べて楽しみます。葉や茎が茶色く枯れてきても、裏切られたなどと感じたりしません。枯れた茎を抜いてコンポストの上に積み上げるプロセスを楽しみます。
それに比べると、自分の人生のそれぞれの瞬間を、これほど新鮮な広い心で楽しむことは難しいようです。赤ちゃんから若者に育ち、成人して年をとり、やがて死んでいく。それぞれの段階には前も後もないのです。あるのは、今この瞬間のありのままの姿だけです。

*~*~*~*~*~*~*~*~

 

わたしも50歳を過ぎて、自分の体力に自信がなくなったり、白髪やシミやシワが増えたりと容姿の衰えに目が向いてしまいがちになりますけれど、

過去と比較するということは、「できないこと」に意識が向いているということ。

そんな風にして生きていても、けっして楽しくはありませんよね。

80歳を過ぎても90歳になっても魅力的に生きている「生き方名人」と呼びたくなるような人はたくさんいて、そんな人たちに共通しているのは、「今できていることに感謝する」、「今を楽しんでいる」こと。

やはり「今この瞬間、ありのままの姿で楽しむこと」は、とても大切なことのようですね!

 

こんな生き方名人の姿をお手本に、死ぬまで楽しく暮らすために今から精進したいと思います♪

 

 

優しい手で触れる

2017/8/25

最近読み返している本がこちら。

 

 

『「今、ここ」に意識を集中する練習』
心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門

 

わたしたちの脳は、疲れた、辛い、イラつくなどのネガティブな感情に支配されやすくできています。

マインドフルネスは、その支配から抜け出して、目の前に起こっていることに意識を向けようとするものであり、「気づきのトレーニング」とも言われています。

そのための方法として、よく瞑想やヨガなどがあげられますが、普段しなれないことですし、そのための時間を割かなければならないとなると、なかなか長続きしないものです。

この本で取り上げられているトレーニングは、わたしたちが普段当たり前に行っている動作――例えば歯を磨く、食事をする、歩く、呼吸する等々――を、ちょっと意識を変えたりやり方を変えて行うことで、その行動をしている「今」に集中するという方法を提唱しています。

普段やり慣れている動作でも、意識を変えることでたくさんの気づきが起こり、その気づきによって生活は色彩豊かなものになっていく、と唱えています。

本文は全部で53章に分かれていて、それぞれの章で一つの取り組みを提案しているのですけれど、著者が勧めるのは1週間で一つの章(一つの練習)を続けて行い、身に付けること。

そうして1年かけて全ての練習をやり切ることができる、というわけです。

ということは、久しぶりにこの本を開いている時点で、何かが違うということなのですが(笑)

 

この本の著者は、アメリカ・オレゴン州の禅宗の寺院の僧侶であり、瞑想の指導者であり、また医者でもある女性。

自らの経験をもとにした練習は、どれも生活に採り入れやすいので、ご興味のある方は試してみる価値はあると思いますよ。

 

 

今日お伝えしようと思ったことは、この本の内容ではなく、その中の WEEK11 「優しい手で触れる」という項目を読んだ時に思い出したできごとです。

 

月に2回ほど高齢者施設へ整膚のボランティアに行っている話は何度か書かせていただいていますが、先日の訪問の際、帰り際に2名の女性スタッフの方が話しかけてきてくださいました。

その話の内容は、その日スタッフの方からぜひ整膚してくださいと言われて整膚させていただいた男性入居者の方のご様子についてでした。

整膚をしている途中から、とても落ち着き始めて、とても良い笑顔になられたことに驚かれていて、「整膚って本当にすごいですね~」と。

「わたしたちもやってあげられると良いんですけれど、どうしても時間が取れなくって・・・」とおっしゃるので、

「整膚をしなくても、触れ方一つで体を緩めて差し上げることはできるんですよ」と、普段わたしがどんなふうに相手の体に触れているのか、その場で簡単にご説明しました。

 

「今、この方はどんな感じなのかな?」と感じようとして触れること。

相手を感じようとして触れると、自然に余計な力は入らなくなるはず。なぜなら、余計な力を入れてしまうと、相手を感じられなくなってしまうから。

 

そんなことを、実際にただ触れるだけの場合と、感じようとして触れる場合との違いを体感していただくと、

「わ~、すごく優しい!こんなに違うんですね!」「この触れ方だと、触れられた瞬間にジワ~とあったかくなってゆるみます!」

即座にそんな答えが返ってきました。

お二人にお互いに交互に試していただくと、最初は「できるかな~?」なんておっしゃっていましたが、実際にやってみると、「やだ~、全然違う!」とケラケラ笑いながらも、とても納得してくださいました。

 

相手の状態を感じようとする

その気持ちが「優しい手で触れる」という触れ方に現れ、相手へと伝わるんですね。

それは決してテクニックではなく、気持ちの持ち方ひとつ、ということなんです。

 

 

 

風通しの良い体

2017/8/22

 

1~2週間に1~2回の割合で地道に続けてきた叔父の施術。

最近はずいぶんと良くなってきて、少々間隔があいても大崩れしなくなってきました。

というより、以前よりずいぶん楽になってきたといってくれます♪

それでも、長いこと椎間板ヘルニアも患っていたし、そのせいなのか膝もずいぶん悪くしてしまっていたので、そこここに歪みはまだ残っています。

そして、腰も膝も右半身に症状が出やすく(痛みを感じやすく)、いつも右側に体が傾きがちです。

この傾きが減ってきて、バランスが良くなってきたら、かなり楽になるはず。

 

今日もうつ伏せの状態でリラクセンス。

右腰のあたりをゆらゆらしているときに、筋肉がググッと動いてきたので、その動きに逆らわずに皮膚を動かしていると、だんだんと体幹部右側の緊張が抜けてくるのが分かりました。

その後、脚もゆるゆるした後で立ってもらったら、まだかなり右側に傾いた状態。

それでも今日はずいぶん緊張がほどけてきたので、もう少し抜けるはずと思い、そのまま立った状態でゆらゆらしていると、

「こっち(右)に傾いてるね」と叔父。

動いて緊張が抜けてきたことで、自分の体の歪みに気づきやすくなったようです。

 

そのままゆらゆらし続けていると、だんだんと動きが柔らかくなってきて、ふっと深い緊張が抜けた感覚を感じた瞬間のことでした。

「あ、今すごく楽になった!」

「変な言い方だけど、体がす~っと涼しくなった感じがしたよ」

「すごい軽くなった」

そんな言葉が叔父の口から出てきました。

 

そうなんです、体の緊張がほどけると、体に涼しい風が通るような感覚を覚えることがあるんです。

言ってみれば、ガラクタでいっぱいだった部屋を片付けてみたら、スッキリと風通しが良くなった、そんな感じです(笑)

この感覚を一度感じてもらえると、また一つ大きなステップを上ることができます。

いくら言葉で伝えても、体感することに勝るものはありません。

この「風通しの良い体」を体感してこそ、それまで自分の体がどれほど悪い状態だったのかに気づくことができるんです。

叔父も「それだけ固まっていたんだなぁ」とつぶやいていました。

 

緊張が抜けて風通しの良くなった体がどんな感覚なのか、どれほど楽な状態なのか、体に感じさせてあげましょう。

目指すゴールの端っこが見えることは、何よりの近道ですから。

 

 

感謝してもし足りない

2017/8/18

 

うちのあんこは肉食女子です(笑)

体質の関係で、一般的なドッグフードを食べることができないので、もう10年以上前から生肉食を続けています。

肉だけではカルシウム不足で便が固まらないので、鶏手羽の先っぽも上げています。

(注)熱を通さなければ、鶏肉の骨は裂けることはないんですよ!

もうね、すごいの!バリバリと野獣のように音を立てて食べるんですよ(笑)

ところが最近、年齢も年齢なので、だんだん歯が抜けてきてしまって、手羽先の先っぽ丸ごとでは、噛み砕くのに四苦八苦するようになってきたので、出刃包丁で三等分くらいにしてあげるようにしています。

 

先っぽとはいえ、骨を切るのはけっこう力がいるものです。

歯の角を当てて、ガリっと音を立てて骨を切りながら、ふと、「あぁ、鶏の命をいただいているのだな、、、」と感じました。

切り身の肉を料理しているのとは違う、「鶏の体」を感じたんです。

そして、普段どれほど何も感謝せず、当たり前のようにして食事をしているのかにも思い至りました。

 

肉も魚も、野菜でさえも、当たり前のことですが命を持っていたはず。

その命を食べてわたしたちは生きている。

人間だけでなく、この世の中の全ての生き物は、他の命によって生かされている。

頭では当たり前のこととして理解していることだけど、普段の生活のなかでそのことに思いを巡らせ、感謝の気持ちを送ることは、とても難しいことなのですね。

少なくともわたしにとっては、どんなに意識しても、忘れてしまう瞬間がいっぱいです💦

 

直接的、間接的にわたしを支えてくれている人・もの・ことは数え上げたらきりがないほどたくさんあって、全てに対して感謝の気持ちを言葉にしたら、何日あってもきっと足りません。

せめて一日数度でも、周囲にあふれる、自分を支えてくれる全てに感謝の気持ちを注ぐことを忘れずにいたいです。

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

20日の日曜日、22時より30分間、遠隔氣療を行ないます。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

 

マイわんにゃんポートレートのご依頼~ぽんちゃん

2017/8/14

先月末に、マイわんにゃんポートレートのご依頼をいただきました。

数年前に、飼っているワンニャン4頭の絵を描かせていただいた方にいただいたご縁です。

かおりんさん、ありがとうございます。

 

ご紹介いただいた方の愛猫、ぽんちゃん。

少し前に虹の橋を渡ってしまったそうです。

お写真を送っていただいて、とても大切に愛されていたことが分かりました。

 

お気に入りの表情は残念ながら少しピンボケで、ちょっと色あせた写真。

その姿をぜひクリアによみがえらせてほしい!とのご依頼でした。

お送りいただいた数枚の写真の中から、実際のぽんちゃんの毛の色合いに近いものはどれなのかを教えていただき、数枚の写真に写った姿を一つの絵に収めるという作業。

描き上げてもなお、これが実際のぽんちゃんと近いのかどうかは全く分からず、ドキドキしながらデータを確認していただきました。

すると・・・

 

*~*~*~*~*~*~*~*

なんて可愛い!!!(親バカですみません󾌳)

こんなに素敵に描いて頂いて…
手触りまで蘇って来るようで、色々思い出したりして又涙々です。
本当に本当に感謝致します󾌴󾍛󾍓
有難うございました。

*~*~*~*~*~*~*~*

 

こんなお返事をいただいて、50%ホッとしながら発送させていただきました。

実物を見てどう思っていただけるのか?
本当に喜んでいただけるのか?

そこをクリアして初めて100%、この段階では安心しきれていないというのが正直なところです。

 

そして先日、早速到着した旨のご連絡をいただきました。

 

*~*~*~*~*~*~*~*

届きました~\(*^▽^*)/

素晴らしいです…
まるで写真…いやいや、まさに今ここに居るという感じです。
素敵な作品を本当に有難うございました。
感動です[?][?]
大切にしますね。

*~*~*~*~*~*~*~*

 

あぁ、本当に良かった。。。(脱力)

これでやっと100%任務完了です(笑)

Sさま、大切なぽんちゃんの絵を描かせていただき、本当にありがとうございました。

 

 

 

こうして大切な愛犬や愛猫の絵を描かせていただくたびに感じるのは、飼い主さんと、家族である動物の深い絆。

きっと飼い主さんは生涯ずっと、その子のことを忘れない。

その子とのかけがえのない十数年の日々を、決して忘れることはない。

その絆はとてもとても深く純粋で、その絆の一端に関わらせていただけることは、なんて幸せなことなんだろう、、、と。

そんな絵を描かせていただく者として、わたし自身が今より少しでも動物たちの意識に近づけるよう、彼らの飼い主さんへの愛情を感じ取り描くことができるよう、日々自分をクリアにしなければ・・・と思うのでした。