整膚とリラクセンス・ボディセラピーを通して、体の手当て+心にも手当て

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贖罪=しょくざい=

2018/2/5

タイトルの「贖罪(しょくざい)」

最近、何回も頭に浮かぶ言葉です。

・・・難しい言葉ですよね。

聖書に親しんでいらっしゃる方でしたら、なじみのある言葉かもしれません。

わたしは母がクリスチャンだったので、物心ついた頃にはこの言葉に触れていました。

 

=贖罪=

1. 善行を積んだり金品を出したりするなどの実際の行動によって、自分の犯した罪や過失を償うこと。罪滅ぼし。「奉仕活動によって贖罪する」

2. キリスト教用語。神の子キリストが十字架にかかって犠牲の死を遂げることによって、人類の罪を償い、救いをもたらしたという教義。キリスト教とその教義の中心。罪のあがない。

(goo辞書より)

 

 

前々回のブログ『「人生に起こる全ては自分の責任」の真意』の続きのようになってしまいますけれど、

ここ1週間くらいの間に、この言葉が思い浮かぶ場面に何回も出くわすので、どなたか必要としている方がいるかもしれないと感じ、思うことを書くことにしました。

 

 

 

わたしは物心ついたときからずっと、いわれのない罪の意識のようなものにとらわれていました。

「立派な自分にならないと受け容れてもらえない」、「みんなが認めるような素敵な人間にならないとダメ」と、脅迫的に信じていました。

 

誰に言われたわけでもないのに、なぜ?

受け容れてもらえないって、誰に?

 

前々回のブログにも書いたように、両親との関係や育った環境など、そのきっかけとなるような条件は確かにありました。

でも、最終的にその考えの中に居座って、いつまでも「誰も認めてくれない」とか「ちゃんとしないと誰かに責められる」と信じ続けたのは、他の誰でもなくわたし自身だったんですね。

自分を認めないのも、自分を責めるのも、他の誰でもない、自分自身だったんです。

たとえどんなきっかけがあったとしても、そこから抜け出そうとせずに、罪の意識を創り出し続けているのは、自分自身なんです。

そのことが理屈ではなく体で理解できたとき、両親や育った環境への恨みや怒りは全て消えました。

他人へ向いていた怒りは、実は自分自身に向けたものだと分かったんです。

ありのままの自分を認められず、素の自分を丸ごと受け容れることのできない自分自身に向けた怒りだと分かったんです。

 

 

わたしは整膚やリラクセンスを学ぶことによって、そういった目に見えない自分自身のとらわれを、体を通して感じ、知ることができました。

目に見えない葛藤の本当の原因を知り、体で感じ切ることで、問題と向き合い切るきっかけと勇気を持つことができました。

それはとても幸運なことだったと思います。

 

 

わたしが自分自身の体験を通して、今苦しんでいる方々にお伝えできることがあるとすれば、「真正面から自分と向き合う覚悟を決めたら、必ず本来の自分、素の自分と出会うことができる」ということ。

全ての答えは必ず自分自身の中にある、向き合いさえすれば必ず答えは見つかるのですから。

 

 

 

わたしたちは何も意識しなくても、呼吸し、心臓が動き、血液が流れ、内臓が機能し合い、脳が体中に指令を出し、すべての細胞が連携し合って、生きることができています。

何も意識しなくても、です。

「神さま」という存在がいるとすれば、わたしたちは神さまによって充分に生かされているのです。

どんな立派なことができなくても、どんなにみんなから尊敬される人でなくても、人として生かされているのです。

それだけで十分に価値があるのです。

 

もし今の自分そのままでは自分の価値を認められないと思われるときは、どうぞ自分の体に触れてみてください。

温かくやわらかい肌に触れて、皮膚の下で息づく命を感じてみてください。

体はただの入れ物なのではなく、ご自身の命そのものです。

どうぞ体を慈しみ、自分自身を受け容れてくださいね。

 

 

 

天使のつぶやき

2018/2/1

2月に入りましたね。

今夜から明日にかけて、また雪が降りそうな気配雪だるま

皆さまどうぞくれぐれも温かくしてお過ごしくださいね。

 

インフルエンザも流行っているようですけれど、ワクチンよりも、食事よりも、まずは十分な睡眠をとることがなによりも大切です。

自分の体力を過信せず、状況が許さないからと言い訳せず、休むべき時はきちんと休む勇気を持ちましょう!

 

 

 

さてさて・・・

 

今日から時どき、天使からのポソッと一言をお伝えしようかなと思います。

ほんのひと時、ほっこりしていただけたらうれしいです♪

 

 

 

 

 

 

 

 

「人生に起こる全ては自分の責任」の真意

2018/1/29

友人たちとやっている動物の命の啓発のボランティアグループ、One☆Paw。

その活動の一環で、先週の木曜日から昨日まで、逗子市内のギャラリーで「いのちつないだ♡ワンニャン写真コンテスト2017入賞作品展」という名の写真展を開催していました。

元保護犬や保護ネコを引き取り家族にした飼い主さんが、わが子の写真を撮って応募するコンテストが毎年開催されています。

その入賞作品だけを集めたこの写真展は今回で3回目。

とても幸せな様子のかわいい写真ばかりなので、前を通る人も気軽に立ち寄ってくださって、たくさんの方にご覧いただくことができました♪

ご来場くださった皆さま、ありがとうございました!

 

もしこの記事を読んでくださっている方々の中に、保護犬や保護ネコを家族に迎え入れていらっしゃる方がいらっしゃったら、ことしはぜひ応募してみてくださいね!

主宰のどうぶつ基金さんのホームページはこちらです。
今年の応募はまだですけれど、チェックしてみてくださいね!
そしてもし入賞されたら、ぜひお知らせくださいね♬

 

 

 

わたしが保護動物に関わるボランティアを始めるようになったのは、犬友から「一緒にやろうよ!」と誘われてのことでした。

当初は、保護犬の存在や里親制度、愛護センターなど、言葉としては知っていましたけれど、詳しいことを知ったのはこの活動を始めてからでした。

そして活動を続けていけばいくほど、人間が真に幸せでないから、弱者である動物の命を粗末に扱う、命を命とも思わないような行動をするのだということが、ひしひしと実感されるようになりました。

 

 

この世にある問題のほとんど全ては、ありのままの自分を認め受け容れることができない人間があまりにも多いことに起因しているとわたしは思っています。

それは、その人の育ってきた環境によるものも大きいし、物心つく前から刷りこまれた、両親や周囲の大人の影響によるものも色濃く反映されてしまっていることは確かなので、ある意味その人も被害者ではあるのですけれど・・・

ただ、最終的には自分の人生は自分で責任を取るしかなくって、元々の原因が親や環境や、その他いろんなことにあるとは言っても、どこかで一旦 腹をくくって、自分の責任として引き受けなきゃどうにもならないんですよね。

だって、他の人にはどうしてあげることもできないから。

 

 

わたしもずっと、自分の生きづらさの原因を親や環境など、自分以外のもののせいにしていたけれど、結局それでは何も解決しなくて、苦しんで苦しんで苦しんだ末に、「すべては自分の責任」というところにやっとたどり着き、腑に落とすことができました。

「すべては自分の責任」というと、責められているような気持ちになったりして、「わたしが悪いっていうの?」と思ってしまうかもしれませんけれど、(事実わたしは最初はそう感じました)

自分を責めることでも追い込んだりすることでもなくて、「自分が責任を負っている自分の人生なのだから、自分でどうにかすることができる」ということなんですよね。

人のせいにしているうちは、心のどこかで自分の人生ではないと思っているから「自分の力でどうにかするという!」という覚悟はできないし、誰かがどうにかしてくれるだろうと考えるもの。

人間って、人生ってそういうものなんだということも、やっと分かるようになりました。

 

 

 

考えてみると仕事でもボランティアでも、わたしはそこでご縁をいただいた方(や動物)に100%自分らしい人生を生きてほしい、そのためにわたしにできることをさせていただくことが、使命のようなものなのかな。

そしてそのために必要な経験をこれまでしてきたのだろうし、これからもしていくんだろうと思います。

そしてそれは、きっと誰でも同じはず。

今世で自分がやろうと決めたことを成し遂げるため、それに必要な親を選び、時代と環境を選んできた。

だから、どんなに苦しいと思うようなことでも、必ず超えられるはずだし、間違っていたと思えば、いつでもそこからやり直せるはずなんですよね。

 

だからと言って、もちろんいつでも一人でがんばる必要はなくて、一人ではどうにも苦しい時は、ちょっと勇気を出して声に出してみれば、必ず助けの手も用意されているはず。

そしてそれに気づくためには、ほんのちょっとだけ視野を広げることが必要なんですね。

 

 

 

大切なのは、一人ひとりがありのままの自分を受け容れて、そのありのままの自分を少しずつ成長させるだけ。

弱い自分
ちょっとずるい自分
怒りっぽい自分
計算高い自分
マイナス思考の自分 etc

そんな弱点だらけの自分が、紛れもない今の自分なんだと「認め」、過大評価することなく、過小評価することもなく、ただ「受け容れる」だけ。

そこには他人との比較もいらないし、他人の評価も必要ない。

そして自分が他人を評価することも必要ない。

自分対自分

そしてその自分を、日々少しずつ成長させていくことだけに集中する。

本当はそれだけで十分なのだと思います。

 

 

 

ありのままの自分を認め受け容れることができれば、他人をもありのままに認め受け容れることができるもの。

そんな人は自分にも他人にも、そして小さな命にも優しくなれないはずがない。

仕事やボランティアを通して想い描くゴールは、そんな素敵な世の中の実現であり、そこにわずかばかりでも貢献できること、、、かなぁ。

 

 

 

寒い→動かない→余計に寒い&脂肪がたまる(T_T)の悪循環を断ち切ろう!

2018/1/26

べらぼうに寒い日が続いていますね!雪

逗子のあたりは神奈川県でも比較的暖かい土地で、横浜辺りと比べても一段温い感じがするものなのですが・・・

この数日に限って言えば、昼間でもキーンと凍り付くような寒い日が続いています。

インフルエンザも流行るわけですね~汗①

 

 

 

こう寒いと、どうしても体が縮こまってしまい、体の動かし方も小さくなってしまいますよね。

体の動きが小さいと、それだけ筋肉も動かさなくなるので、結果的に血流が悪くなってしまいます。

そうすると余計に体が冷えるという悪循環に・・・汗②

 

 

でもね、

体を大きく動かした方が良いと分かっていても、ただでさえ寒さで緊張してゴワゴワ、ゴチゴチになっている筋肉を無理やり動かそうとしても、なかなかうまくいきませんよね汗②汗②汗②

わたし自身も、特に朝起きたときなどは体がギュッとしていて、なかなか動かせなかったりしますから、よく分かります(・・。)ゞ

 

でもそんなとき、リラクセンスで学んだ考え方、体への意識の持ち方は、とても役に立つな~と気づきました。

 

 

皆さんは、「腕はどこからどこ?」と聞かれたら、何と応えますか?

「・・・・・・・・・・」

そうですよね~、ほとんどの方がそう答えますよね!

って、何て答えられたんでしょう?(笑)

 

恐らくですが、「肩関節のこの部分から指先まで」と、肩のあたりを指し示して答えるのではないでしょうか?

「えっ?違うの?」という声が聞こえそうですね。

見た目は確かにその通りですよね。

 

 

でも、骨格上は全く違います。

学生時代に骨格標本をご覧になったこと、ありますよね?

細かい部分までは覚えていらっしゃらないかもしれませんけれど、もし偶然手元に標本があるという方(いるのか?)、または人体解剖図のような本をお持ちの方は、ぜひ確認してみてください。

骨格上は、いわゆる腕の延長線で体幹部とつながっているのは、鎖骨の端っこだけなんです。

胸椎という、左右の肋骨の間、体の前面の中心にある骨の上端と、鎖骨のは端をつなぐ胸鎖関節という関節があるのですけれど(触れて分かりやすい関節です)、

鎖骨~肩甲骨~いわゆる腕の中で、体幹部とつながっているのは、その胸鎖関節の部分だけしかありません。

つまり、そこ以外の鎖骨も肩甲骨も肩関節も、骨格上は全部”浮いて”いる状態。

つまり、鎖骨も肩甲骨も肩も、全て”腕”なんですね!

そう、普段わたしたちが認識しているよりも、実は腕ってもっと長いんです。

そして、(筋肉や腱で引っ張られてはいますけれど)思っているより、はるかに伸びやかに自由に動くはずなんですね!

 

 

 

では実際に、「鎖骨から先は全部腕」、「肩甲骨も”浮いている”んだ」と意識して、腕を長く使って動かしてみてください。

恐らく今までとは違う、軽い感覚で大きく動かせると思います。

あ、普段から肩甲骨を意識していない方は、肩甲骨そのものを動かすことは難しいと思うので、そんな方は”肩関節も浮いている”と意識して、鎖骨から腕を動かしてみてください。

フワッと軽く動くと思います。

ポイントは、筋肉を動かそうとするのではなく、腕全体が”浮いている”と、骨を意識しながら動かすんです。

すると、筋肉の余分な緊張がなくなるので、柔らかく楽に、大きく動かせるはずです。

 

 

ではここで話を元に戻しますね。

 

寒い日でもこんな風に、”鎖骨から先、全部が腕”、”肩甲骨は浮いているもの”、あるいは”肩関節は浮いているもの”という意識を持って動かすと、無理なく自然に大きく動かすことができるはず。

筋肉を意識しないので、たとえ寒さで縮んでしまっていても、楽に大きく動かすことができるはずです。

大きく動かすことができると、結果的に筋肉も大きく動かすので運動量も上がり、血流も良くなって体が温まります。

特に肩甲骨周辺の背中の筋肉は大きいので、その部分を効果的に動かせると、体を温める効果も大!ですから。

 

 

 

こんな風にして、本来の骨格通りに体使ってあげると、楽なばかりでなく、健康にも効果的、姿勢も良くなる、

そして代謝が上がるので、脂肪を蓄えてしまいがちなこの時季でも、密かに代謝アップ!スッキリ痩身!!できるという、たくさんのメリットがあるんです。

この寒い時期にこそ、ぜひ本来の体の動かし方を身につけちゃいましょうね!

 

 

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

毎週日曜日に行っている遠隔氣菱ですが、今回は都合により明日、土曜日に行います。
時間はいつも通り、22時より30分間です。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

無意識~体に残る感情の記憶

2018/1/24

 

セッションを行なっていると、無意識というものの影響力の大きさを実感することがよくあります。

気持ちの上では、長年続く緊張をほどきたいと切実に願っているのに、体の奥に残っている無意識の「怖い!」という感情が、緩むことにブレーキをかけてしまう。

そういう方はきっと、長いこと緊張することで自分を守ってきたんだと思うんですね。

物理的にも精神的にも。

緊張することがつっかえ棒の役割を果たしてくれていて、それを頼みの綱として長いこと過ごされてきたのだと思うんです。

そして、それを頼みにする気持ちが大きければ大きいほど、自分を支えてくれていたその緊張を手放すことが怖くなるんですね。

 

 

もちろん、理性では緊張を抜いた方が良いと思っているし、むしろ抜きたくて抜きたくて仕方ない、

”切望”と言っていいほどの想いを持っていらっしゃる。

けれど、「緊張が自分を支えてくれている。これがなくなったら大変だ!」という恐怖の感覚は、最後まで体に”記憶”として残ってしまうこともあって、

その恐怖の感覚は、頭で理解している「手放した方が良い」という理屈よりもはるかに強く、わたしたちの体を支配してしまうものなんです。

そうすると、体が自ら緩もうとしても無意識のうちに抗って、緩むことを止めてしまいます。

 

 

こう言うと、それが悪いことのように思われるかもしれませんし、中には「まだダメなんだ~」と落ち込む方がいらっしゃるかもしれませんけれど、そうではないと思うんです。

今までは無意識にでも恐怖を持つことが自分を支えてくれていた、支えてくれている、という状態なだけ。

良い悪いではなく、ただその状態であるというだけのこと。

ただその状態であることを、「そうなのね」とそのまま受け止めるだけで良いのだと思います。

 

 

そして受け止めたら、ご自身の体に優しく教えてあげてください。

 

今の自分はあの頃とは違っている、

もうつっかえ棒がなくても、しっかりと立つことができるんだ、

これまで支えてくれてありがとう、

これからは、もっと楽な形で自分を支えていこうね、、、、と。

 

 

自分の体に優しくするということは、決して良いことばかりを受け容れ、いやなことから目を背けることではありません。

痛みや違和感は、そのまま体からのメッセージです。

何を伝えたいのか?手放せないのならそれはなぜか?

体と丁寧に正面から向き合えば、必ずヒントを教えてくれるはずです。

そしてそのヒントを受け取れたら、半分抜け出したも同然。

その後は、またゆっくり体と対話しながら、体が自分で手放せるタイミングを待ってあげてください。

体を信じてあげてください。

体は必ず自らを癒す力を持っているものですから。

 

 

「絶対に諦めない!」が力を生み道を拓く

2018/1/22

人間の体には、まだ科学で解明しきれていない多くの謎があって、”不思議”と言われるような様々な驚くべき力が備わっている。

これはよく言われることですし、わたしもそれを強く信じています。

ただ、そうは言っても、それを生きた体験として目の前で魅せていただいたときには、やはり驚きますし、一方で、自分が信じてきたことが間違っていなかったのだと、安堵のような気持ちが湧いてきます。

 

 

 

脳梗塞の後遺症で半身が不随になったけれど、懸命なリハビリの結果、少しずつ手が動くようになってきた矢先、脊髄の組織の一部が壊死してしまうという不幸に見舞われた方がいらっしゃいます。

それでも、「動くようになる気がするのよ」と、決して諦めることなくリハビリに取り組んでいらっしゃる。

そんな頃ご縁をいただき、それから何回か施術をさせていただいています。

 

施術の度に毎回感じ、思うのは、その方の諦めない気持ちと呼応するように、その方の体も様々な反応を返してくれること。

そして先日、また一つ大きな反応を返してくれました。

 

 

足先から施術を始め、脚全体、そしてお腹から胸へと施術していた時のこと。

「なんか暑くなっちゃったわ」とおっしゃいます。

「右脚がね、熱いのよ」

「えっ?」と、一瞬その方のお顔をじっと見つめてしまいました。

脳梗塞の影響で、それまでは痺れも痛みも、何も感じることのなかった右脚。

その日も、施術前にわたしが触れても、「右脚は何にも感じないわね」と当然のことのようにおっしゃっていた右脚。

その右脚に熱さを感じられている!

思わず「右脚が熱いんですか?」と聞き返してしまいました。

「そう、右脚が熱いの」

「感じていらっしゃるんですね?」とお聞きすると、そこで初めてご自分の体に起こっていることの大きさに気づかれたようで、

「あ!本当ね、そうね、感じているわね!」と、初めて驚きの表情が浮かびました。

 

 

たぶん医学的(科学的)には、感覚が戻ることすらほぼゼロに等しいことなのでしょう。

(実際、お医者さまからはそのように言われていたようですし)

でも、「何だかわからないけれど動くようになる気がする」と、ご本人は諦めてはいらっしゃらなかった。

だからご自分でできることをがんばってやっていらっしゃった。

それが結果として表れた、ということなんですよね。

 

そのことをご本人は「みんなのおかげ」と言われるし、もちろんその感謝の気持ちはとても大切なものだと思います。

でも、そのみんなの助けを引き寄せ、それを十二分に活かすことができたのも、ご本人の強い気持ちがあったから。

いくら周囲の人ががんばって!と励ましても、いくら持てる技術や力を全て使って助け、応援しても、本人に治る気持ちがなければ何を変えることもできない。

最後にものをいうのは、やはり本人の「絶対にあきらめない」という強い気持ちと、そこから生まれる”不思議”と言われる力なんです。

そのことはしっかりと知っておいていただきたいと思い、力説してきました(笑)

 

 

 

自らを治癒する力が体には備わっている。

 

わたしの仕事は、頭での知識や技術だけを頼りにするのではなく、むしろその知識を一旦脇へ置いて、体自身に問題の答えをたずね、教えてもらうこと。

言ってみれば、ただひたすらに相手の体に教えを乞う。

そんな、ともすれば「怪しい」と受け取られても不思議ではない施術を(笑)理解し、信じ、自ら受け入れてくださる方の存在は、わたしにとってありがたいの言葉一つで済まされるようなものではありません。

その信頼の重みをいつも心にとめて、本当の意味でいつでもその方の体に寄り添うことができるよう、そしてその時どきに最も良い状態になっていただけるよう、常に心と体を柔らかく広げていたいと思います。

 

 

 

幸せの器を決めるもの

2018/1/20

わたしたちが当たり前に過ごしている日常。

けれど当たり前ということはこの世にはなく、当たり前に見えることも、実は数々の奇跡的な素晴らしい出来事が重なって保たれていただけなのだと思い知らされる出来事に出合うことがあります。

そんなとき、毎日恙無く普通に暮らせることがどれほどありがたいことなのかを思い知り、この気持ちを決して忘れるまい!と心に決めますね。

 

でも、わたしたち人間は、その大変な時期が過ぎて一年、二年、数年と経つうちに、たいていの人は再び訪れた゛当たり前゛の日常の中で、その時の気持ちを忘れてしまいがちになってしまいます。

当たり前の日常がとてつもなく感謝なことだということを、忘れてしまいます。

 

 

日々感謝の気持ちで暮らすということは、特別な何かに感謝することではなく、

喉を潤すほんの一滴の水があること、

今朝も目が覚めたこと、

家族と口げんかしながらも、元気に暮らせること、

笑えること、

怒れること、

泣けること、

そんな全てのことにありがたいと思えることなのでしょう。

 

 

どれほど小さなことに感謝できるのか、そしてそれをどれほど日常的に心に留めていられるか、

それが幸せの器の深さや大きさを決めるのでしょうね。

 

 

 

 

二人でいても”ひとり”

2018/1/18

少し前に友人が教えてくれた心理学者でありカウンセラーの諸富祥彦さんという名前。

もうインプットは卒業と思っていたので、すぐには反応しなかったんですけど、何となく気になって、図書館で著書を借りてきました。

 

 

 

読み始めたら、ページをめくる度に突き刺さる言葉が飛び込んできて、、、

これまでのわたしの葛藤の中身がそこに描かれていて、これまでの自分の経緯などをたどるように読破していました。

 

そして、何となく感じていたこと、「知って」いたことの正体を突き付けられたような感覚。

デジャヴ?とも言えるような、不思議な感覚がありました。

 

 

心理学者と一言で言っても、様々なタイプの方がいらっしゃいますけれど、この方はとても哲学者的な要素を持った方だと感じました。

 

 

この2冊のうちの1冊『孤独であるためのレッスン』の中に、わたしが目指すセッションの姿を言い表している箇所がありましたので、ちょっと長くなりますが抜粋させてください。

 

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

カウンセリングの本質にとって、より重要な意味を持つものとして私の心に引っかかったのは、「たしかに二人でいるのだけれど、何だか自分”ひとり”しかいないような、あの体験」のことでした。
自分がぽつりぽつりと話をしているときに、それを解釈されるでもなく、アドヴァイスをされるでもなしに、ただ黙って話を聴いてもらっている。すると、たしかに客観的には二人でいるのだけれど、何だか自分”ひとり”でいる、そんな感じになってくる。けれどもそれは、ひとりで考えごとをしているときとは全然違う。そんなときに決まってひっかかる捕らわれや堂々めぐりからは自由になっていて、もっと存分に、のびやかに”ひとり”で思いにふけることができる。そんな”充実したひとり”の体験。

(中略)

カウンセリングをするとき、言うまでもなくそこには二人の人間がいて、話をしています。カウンセラーとクライエントという二人の人間がいて、クライエントがカウンセラーに向かって話をしている、そんな意識状態でカウンセリングは始まります。
けれども、カウンセリングが進み、二人の関係が深まっていくにつれ――そして、ここがカウンセリングという関係の特殊性なのですが、カウンセラーがクライエントの体験のプロセスに添って自分を消し去るようにして、全身全霊をこめて話を聴いていくにつれて――話をしているクライエントから、「カウンセラーに向かって話をしている」という意識が徐々に徐々に弱まっていきます。「カウンセラーに話をしている」という対象的な意識は希薄になっていき、確かに注意してみれば自分がカウンセラーに話をしているのはわかるのだけれど、その存在がほとんど気にならない、ひたすら自分の体験に没頭し、それにひたり、それを味わっていて、ある意味では自分”ひとり”でいるのと変わらないような、そんな体験になっていくのです。
その”ひとり”の状態で、では、クライエントが何をしているのか、というと、自分の中から出てきた、漠然とした、曖昧な体験と向き合っているのです。それが何なのかはまだよくわからない、けれどなぜか、そこに大切な意味がありそうな気がする、漠然とした、あいまいな”何か”。その何かとじっくり向き合いながら、様々な言葉やイメージが駆け巡っている。何かを絞り出すようにして、それと向き合いつつ、そこから何かが出てくるのを待っている。そうこうしているうちに、「あっ、こういうことかな」という手掛かりが得られてくる。そしてそれを、心の中で何度も反芻していると、自分の奥の「何か」がそれに共鳴し、「そう、たしかにそうだ」という素直な反応が自分の奥から帰ってくる。そして、それが幾度か積み重なるうち、重要な意味のある”気づき”がやってくる。{あぁ、そうだったのか!」と。その”気づき”が広がっていく。

゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

 

ずいぶん長い引用になってしまいました汗

もちろんこれは、対話でのカウンセリングの場面で起こることについての話ですけれど、これを読んだ時に、わたしがセッションで目指す姿を見た思いがしました。

 

 

確かにわたしが体に触れているのだけど、クライアントさんは自分の体に没頭し、自分の体の反応をひたすら感じ、体からの声にただひたすら耳を傾けている。

そしてその反応から生み出される体と内面の変化を体感し、本来の”素”の自分を思い出し、取り戻していく。

その過程において、セラピストとしてのわたしの存在を一切感じることなく、ただ自らの力で自分に目覚めていく。

 

 

今まで漠然と目指していた理想のセッションの姿、

しっかりと輪郭が見えたことで、一つ大きな勇気をいただけました。

とはいえ、まだゴールには程遠く・・・汗

大きな理想に一歩でも近づけるよう、日々研鑽を積むだけですね!

 

 

 

体からのメッセージ

2018/1/16

セッションを行なっていると、体からのメッセージのようなものを感じることがあります。

それは、わたしが自分で感じたり考えたという感覚とは違い、体から訴えかけてくるような感覚。

言葉で表現するのが難しいのですけれど、単に手で「感じた」というよりも、もっと生々しいというか、体全部で感じるようなリアルな感覚です。

もちろんいつもいつも感じるわけではありませんが。

きっと、体がどうしても体の主である本人に伝えたいことがあるときに、わたしという媒体を通して訴えるんだろうな・・・

そんな気がします。

 

 

これまでにも何回かそういうことがあって、その都度ご本人にお伝えしています。

すぐに「あぁ!」と思い当たられることもありますし、「う~ん、よく分からない。。。」と言われることもあります。

が、これまで見てきた結果では、その時にすぐに思い当たらない場合でも、たいていは少し時間が経つと「あぁ!」と理解したり腑に落ちたりするようです。

 

 

すぐに思い当たらないというのは、当然と言えば当然のことだなと思います。

というのは、体がこうしてわたしを通して訴えてくるということは、これまでずっと我慢していたけれど、「もう我慢できない!どうにかして!」という体の叫びだと思うんです。

つまり、本人が顕在意識で全く気づいていないことか、あるいは、どこかで気づいているのだけど見て見ないふりを続けていることだったりするわけです。

見ないふりをしているのですから、それを「ほら見ろ!」と言われても、最初の反応としては知らないふりをするしかないんですよね~。

あ、もちろん本人はそんなつもりはなく、全く無意識的に、ですけれど。

だから顕在意識的には、すぐには思い当たらない、という反応になるんですね。

 

でも、体が訴えてくるということは、無意識の深い部分では実は本人もどうにかしたいと思っているはず。

だから少し時間が経つと、「あぁ!」ということになるわけです。

そして、訴え・メッセージの内容に気づいて、意識を変えることができれば、一つ大きな階段を上れるんです。

 

 

最近、某国営放送で月に1度、日曜日の夜に放映している「人体」という番組をご存知ですか?

山中伸弥教授とタモリさんが進行している番組なのですが、ご覧になったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そこで展開されるのは、体中の臓器や細胞同士が、様々なメッセージ物質を出し合って情報交換することで、わたしたちの体を外敵から守り、修復し、日々の営みを支えてくれているという、これまであまり知られていなかった、、細胞レベルでの驚くべき体の働き。

さらに驚くことは、体に直接かかわっている臓器や細胞だけでなく、腸内細菌など体に属していない物質とも様々なメッセージ物質をやり取りして、わたしたちの生命を維持してくれているということ。

 

これほどまでにすごい能力を持っているわたしたちの体。

わたしたちはその働きに見合うだけの敬意と愛を体に払っているだろうか?

大切にしている、というのが言葉だけになっていないだろうか?

もっと、もっと深いレベルで大切にするべきなのでは?

そんなことを考えさせられます。

 

 

きっといつも、誰でも、体が発するメッセージを受け取ることはできるはず。

本当の意味で体を大切にできれば、全てのことをもっと大事に思えるはずですね。

 

 

 

やっぱり整膚、すごいな~♬

2018/1/13

今日たまたま立ち寄った友人のお店でのこと。

年末に大けがをして手術した友人、手術の跡が痛み出したので冷やそうと思っていた、というところでした。

その場で10分くらい整膚をしたところ、腫れが少し弾いて、硬かった患部もずいぶん柔らかくなりました。

 

 

 

ケガをして腫れているときは、できるだけ早く整膚をすると、治りも抜群に早くなります。

やり方はいたって簡単!

皮膚に軽く手を触れたら、皮膚の表面を優しく動かすだけ。

この時に大切なポイントが幾つかあるのですが、、、

 

①皮膚に軽く触れたら、その振れた圧力以上に力を加えないこと。

「こんなので良いの?」と思われるくらいに軽く触れる力だけで十分です。

というか、力を入れ過ぎると逆効果になってしまいかねません。

あくまでもフワッと触れる程度の軽さが目安です。

 

②触れた指が皮膚から離れないように密着させたまま動かすこと。

指が動いてしまうと、「こする」ことになってしまい、効果が薄れてしまいます。

 

③皮膚を動かすときは、気持ちよく皮膚が動く範囲の中で動かしましょう。

動かそうと思えば皮膚はいくらでも動きますけれど、気持ちよく動く範囲を超えてしまうと、これまた逆効果になってしまいます。

最初はゆっくり動かしてみると、スーッと動いている範囲と、それを超えて無理やり動かすときの感触の違いがはっきりと判るはずですよ。

 

④動きにくい部分や痛みがある部分は無理に行なわず、周囲の柔らかい部分や痛みがない部分を行いましょう

皮膚は全身が一枚の皮。

周囲の皮膚を動かせば患部の皮膚も動きます。

たとえ直接皮膚に振れていなくても、皮膚が動いていれば効果は及びます。

 

 

このようにして、一日に数分でも良いので、優しく整膚をしてみてくださいね。

最大のポイントは、「気持ち良い!」を大事に行なうことですよ!

 

 

 

そうそう、もうずいぶん前のことになりますけれど、近所に住んでいた叔母が、10年以上前の卵巣の手術の痕が癒着しているようだと言ったことがありました。

既に整膚を学び始めていた後だったので、やり方を伝えて、トイレに行ったときに30秒でも1分でも良いからやってみてね、と勧めたことがありました。

それから3~4日後、再び叔母に会うと、「あれから毎日整膚していたら、癒着していたコリコリの塊が全くなくなっちゃったの!」と言われたんですよ。

あれは嬉しかったなぁ~♪

 

 

 

特に悪い部分がなくても毎日整膚をしていると、血流がとても良くなるので、シミやシワがなくなったり、余計な脂肪を退社する力があるんですよ!

ただ皮膚を気持ちよく動かしたり持ち上げたりするだけです。

やらなきゃ損!と言っても良いと思います。

 

 

 

皮膚って体を包んでいる単なる皮じゃないんですよ!

すごい機能を秘めている最大の臓器です。

やさしく、優しく接してあげてくださいね。

 

 

 

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明日14日の22時より30分間、遠隔氣療を行います。
ご希望くださる方はこちらをお読みいただいた上で、コメント欄にてお知らせください。
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